尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト
1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。週1回の読書ブログ「めぐりあう書物たち」を開設中。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ウクライナ侵攻 「核」はそこにあるだけで「兵器」になる、という怖さ
駆けだしの新聞記者だったころ、私の任地は原発の集中立地県だった。1970年代末~80年代初めのことだ。地元で反原発運動の先頭に立つリーダーの1人に広島で被爆を体験した年配者がいた。「原発密集地にミサイルが飛んで来たらどうなるのか」――そう言って原発増設に反対していたことが忘れられない。
そのころ、私は原発の集中立地に焦点を当てた記事を書くことになり、原稿でこのリーダーの危惧にも言及した。ところが、その箇所に本社のデスク(出稿責任者)から「待った」がかかった。荒唐無稽というのだ。完成稿がどうなったか、今、記事の切り抜きが見つからないので思い出せないが、そういうやりとりがあったことは、はっきり覚えている。当時は東西冷戦期で核戦争に対する警戒感が強かったが、それでも原発がミサイルの標的になると考える人は少数派だった。
この傾向は、日本社会にとくに強かったのかもしれない。戦後日本では、政官界も産業界も、あるいは科学者も技術者も、核兵器と原子力発電を峻別してきた。背景には、広島・長崎の被爆体験があった。戦争を二度と繰り返さないという決意もあった。1955年に成立した原子力基本法は、第2条に掲げた基本方針で「原子力利用は、平和の目的に限り……」と釘を刺している。原子核エネルギーの用途は平和利用のみ――民生核を軍事核と切り分けて正当化する立場である。
ところが、今回のロシア軍によるウクライナ侵攻では、この構図が大きく崩れてしまった。ウクライナ北部のチェルノブイリ原発(1986年に重大事故、現在閉鎖中)や南東部のザポリージャ原発(原子炉全6基、うち2基が稼働中)の占拠、そしてザポリージャ原発や北東部の国立ハリコフ物理技術研究所に対する砲撃は、原子力施設が紛争相手国にあればそれを軍事行動に利用できる、という現実を見せつけた。
このニュースで衝撃を受けたことは、もう一つある。
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