鈴木 基(すずき・もとい) 国立感染症研究所感染症疫学センター長、疫学者
〈P〉 1972年生まれ。1996年、東北大学医学部卒業。国境なき医師団、長崎大学ベトナム拠点プロジェクト、長崎大学熱帯医学研究所准教授などを経て、2019年4月から現職。専門は感染症疫学、国際保健学。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードのメンバーとして、流行分析と対策に関する提言を行っている。〈/P〉
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
流行開始から2年余、各国で制限緩和の動き
国内外で、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)のパンデミックをめぐる状況に変化が訪れつつある。流行当初から感染制御を目的として様々な対策がとられてきたが、ここへきてそれらを緩和する動きが見られるようになってきたのだ。これは、パンデミックが「終わり」に近づいていることを意味しているのだろうか? 公衆衛生とは、集団の健康の改善を図る科学と技術のことである。本稿では、公衆衛生の観点から、パンデミックの「終わり」と、新型コロナをめぐる認識・環境の3つの変化について考えたい。
新型コロナのパンデミックが始まって、すでに2年以上が経過した。世界保健機関(WHO)の統計によると、2022年4月末までに世界中で5億人が感染し、600万人以上が死亡している。公式に確認されていない数も含めると、短期間に発生した感染症による被害としては、1918年に始まったスペインインフルエンザ(俗に「スペインかぜ」と呼ばれる)のパンデミックに次ぐ規模であると考えられる。
この非常事態を乗り切るために、世界中の多くの国々では、流行当初から渡航制限やロックダウン(都市封鎖)、外出制限等の私権制限を伴う強力な対策がとられてきた。これは人々が接触する機会を削減し、新型コロナによる健康被害を最小限に食い止めることを目的としたものである。しかし、少なからぬ数の重症者や死亡者の発生が続いているにもかかわらず、2022年に入った頃から、各国で制限を緩和する動きが目立つようになってきた。その背景には、長期化する感染対策による市民の疲れや経済の停滞があり、またワクチン接種率の上昇とウイルスの変異により、致死率の低下がみられるようになったことが影響していると考えられる。
こうした制限緩和の動きは、パンデミックの「終わり」という言葉とともに世界中で報道されている。一方で、WHOのテドロス事務局長は、2022年3月9日の会見で「終息からは程遠い(“the pandemic is far from over”)」と述べた。実際、各国の足並みがそろっているわけではない。欧米諸国のなかには、流行の拡大を許容して制限の全面的な解除に踏み切った国々があるが、中国では本稿執筆時点(4月30日)でも大都市でロックダウンが行われている。また、低中所得国の中には、不安定な政情や限られた医療資源が原因で、対策が実効性のないままに形骸化している国々もある。このように、現時点で各国はその国内事情に応じて制限を緩和するかどうかを判断しているのであって、国際的にコンセンサスが形成されているわけではない。
国内でも、欧米諸国の動きを受けて、制限緩和を進めるべきだという声が次第に大きくなっている。感染対策に関わる政策決定者や公衆衛生の専門家は、こうした声に真摯(しんし)に向き合う必要があるだろう。その際には、日本の対策の特性についても考慮しなくてはならない。日本では、これまで法令に基づく強い行動制限策の代わりに、市民の自主性と協調性を尊重した対策がとられてきた。例えば、日本ではマスクの装着は義務ではないが、今日に至るまで高い装着率を維持している。これはまさしく市民の自主性と協調性の成果だが、逆に言えば、もし市民がその必要性を感じなくなれば、政策決定者の意思とは無関係に制限の緩和が進行することもあり得るということである。国の対策方針と市民の行動が乖離することは、決して好ましい事態ではないだろう。そうなる前に、国全体として何を目指して対策をしているのかについて、政策決定者と専門家、市民の間で認識を共有しておく必要がある。