熊野の無人島、荒廃した自然林が教える生物のつながり
2022年05月28日
神島は、街の中心部から約2㌔沖に離れた田辺湾にある。「おやま」と「こやま」の大小からなり、面積はサッカーコート4面分ほどの小さな無人島だ。島全体が亜熱帯性の照葉樹林に覆われ、古くから神が住むとしてあがめられてきた。おやまの小高い頂上にはほこらがあり、「鎮守の森」がそのまま湾にせり出したような姿をしている。
島への渡航は、昨年の南方熊楠賞を受賞した元京都大総長の山極寿一さん(総合地球環境学研究所所長)の視察に同行させてもらうことで実現した。地元の漁港から船で10分ほど。小雨の降る中、雨具を着て島内を歩き回った。
案内してくれた田辺市にある南方熊楠顕彰館の研究員・土永知子さんによると、太平洋に面し、温暖で適度な降水がある神島は、かつては常緑高木のタブノキの巨木で覆われていた。湾にせり出した島は近くの岬から300メートルほどしか離れておらず、明治初期には「こやま」の樹木が伐採された記録が残る。タブノキは材木としてだけでなく、幹や枝を粉にしたものが蚊取り線香や線香の原料として重宝された。切り倒した木を船で搬出しやすい条件も重なって、島の木々は受難続きだったようだ。
熊楠が田辺に住み始めてしばらくすると、明治政府が進めた地域の神社の統廃合政策に絡み、今度は「おやま」でも伐採計画が持ち上がった。熊楠は鎮守の森が破壊されるとして神社合祀(ごうし)に異議を唱え、自然林の保護を求める抗議活動に取り組んだ。新聞への投稿や、政治家や学者に意見書を送るなど積極的に働きかけを行った。1911年、親交があった民俗学者で役人でもあった柳田国男に送った書簡の中で神島についてこう説いている
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