レガシーの重荷に苦しんでいるのは東京だけじゃない
「遺産」や「パーク」に認定された地域、苦戦と成功の分岐点は?
香坂 玲 東京大学大学院教授(農学生命科学研究科)、日本学術会議連携会員(環境学)
自分ごとの意識が希薄
最も根本的な問題の一つは、認定されたエリアが「自分たちのことだ」という意識が希薄な場合である。自分たちのことで自らが登録したのに、なぜそのようなことが起こりがちなのか。
まず、認定制度の初期のころは、「登録」という行為が国や行政主導であったために、そもそも自分たちで行わなかったケースがある。その結果、1970年代に登録されていながら、自治体の側で自らが登録されていた意識が薄かったという事案もある。

世界農業遺産に登録された新潟県佐渡市の田んぼでえさをついばむトキの群れ
次に、登録間もないころは国の出先機関の担当者が黒衣となり、調整をしていたが、その補助輪が外れてしまった後に、引き取る余裕や気概がないようなパターンもある。そこに定期的な審査や報告といったモニタリングの業務の負担がのしかかる。
最後に、「自分たち」という意識を持つ範囲が限られているパターンだ。そもそも「観光」「農林業」「建築物」などのセクターで割れてしまうケースが間々ある。
冒頭でエリア内の温度差について述べたが、「〇〇地区が中心だから、我々は通過点」などと空間的な区分による温度差もあれば、「××さんの時代に申請したものだから」という時間的な区分による温度差もある。
特に後者では、首長の交代に伴って活動が減速してしまわないようにするには、行政から一定程度独立して自律的に回っていく仕組みの構築がカギとなろう。
人口減少、特に担い手の縮退、そして環境面では気候変動、それに伴う自然災害の激甚化も予想され、どこの部分を「自分ごと」に、逆にどこを「他力本願」に、そして最も困難な「どこを省力化ないし畳むのか」という議論も避けられそうもない。