山内正敏(やまうち・まさとし) 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員
スウェーデン国立スペース物理研究所研究員。1983年京都大学理学部卒、アラスカ大学地球物理研究所に留学、博士号取得。地球や惑星のプラズマ・電磁気現象(測定と解析)が専門。2001年にギランバレー症候群を発病し1年間入院。03年から仕事に復帰、現在もリハビリを続けながら9割程度の勤務をこなしている。キルナ市在住。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
中立のメリットと全方位外交を捨て、「世界の警察」を自信過剰に向かわせる
スウェーデンとフィンランドが従来の軍事的中立を捨ててNATO(北大西洋条約機構)加盟に舵(かじ)を切った。スウェーデン在住者として、NATO加盟自体は驚きではない。というのも、NATO加盟の意見は冷戦終了後にじわじわと増えていたからだ。スウェーデン国会は1980年代から右派(自由競争主義)4党、左派(規制平等主義)3党で構成され、2010年からは反移民ポピュリストの党も加わったが、そのうちの右派4党がそれぞれ1998年(穏健党M)、1999年(自由大衆党L)、2014年(キリスト教民主党Kd)、2018年(中央党C)にNATO加盟の方針を掲げるようになっている。そして今回、政権党(社会民主党S)がNATO加盟に急旋回して、申請に至った。
しかし、長らく維持してきた軍事的中立を捨てるデメリットは正しく評価されているだろうか? 北欧とロシアの歴史を振り返りながら、考えてみたい。
NATO加盟までの流れを理解するには、ロシアとソ連がスウェーデンにとってずっと仮想敵国だったという歴史的背景を知る必要がある。
元々、19世紀にスウェーデンが中立を決めたきっかけは、度重なる対ロシア戦争(1700-1809年に3度)の敗北で、特に第2次ロシア・スウェーデン戦争(1808-09)でフィンランドを失って以来、フィンランドまで進出したロシアがスウェーデンに手を出すことを恐れて(鉄道が海からの砲撃の届かない内陸部に敷かれたほど)、大陸本土の紛争には関与しなくなった。ロシアからの圧力は、ロシア革命のどさくさでフィンランドが独立(1917年)を遂げたことで弱まったように見えた。しかし、そのフィンランドにソ連が冬戦争(独立から約20年後の1939-1940年で、失地回復という意味では今回のウクライナ侵攻と同じ構図)を仕掛け、ソ連が仮想敵国であることが改めて認識された。
ソ連を警戒する流れは冷戦時代も続いた。スウェーデンは表向きは東西どちらの陣営にもつかず、社会システムも、多くの国営・公営事業をもつ巨大政府型の資本主義、いわゆる「福祉国家」だった。だが、現実には、文化的、経済的に西側と強くつながっていた。だから、冷戦中もソ連からの侵攻を想定しており、例えばフィンランドとの国境の川沿いには要塞(ようさい)がいくつもあった。徴兵制度がずっと続いたのもそのためだ。
ソ連崩壊(1991年)で軍事的圧力が下がったのち、もともと経済的・文化的なつながりの強い西側との結束を強めるのは自然な流れで、それは欧州連合(EU)加盟(フィンランドと共に1995年)で加速した。