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営業開始から30年 山形新幹線はもはや時代遅れ?

活発化する改良工事の先に、フル規格の夢を追う奥羽新幹線構想

米山正寛 ナチュラリスト

 整備新幹線計画から外れた地域の在来線を新幹線と直結させて高速鉄道網に組み入れた「山形新幹線」。在来線の軌道幅を新幹線と同じ幅に広げたミニ新幹線方式で、1992年7月に福島~山形間で営業運転を始めた。それから30年が経ち、日本の鉄道開業150年とも重なる今年、山形新幹線をさらに改良し、フル規格新幹線の実現につなげる動きが目に付くようになっている。

拡大山形新幹線「つばさ」。現在のE3系は白、紫、オレンジの塗色で運行されている

在来線のレールを広げて新幹線を走らせた

 ミニ新幹線は在来線と新幹線をつなぐ工夫として生まれた。JR在来線のレール幅は狭軌と呼ばれる1067mmだが、これを新幹線と同じ標準軌の1435mmに広げて、相互の乗り入れを可能にする。在来線でそんな改軌工事をするが、トンネルなどの構造物の大きさは基本的に変えないため、本来の新幹線より一回り小さな車両を走らせることになる。

 東京~山形間の往来で言えば、1992年までは福島駅で東北新幹線から在来線である奥羽線の特急に乗り換えるのが、鉄道利用の際の一般的な経路だった。ミニ新幹線方式によって同じ車両が東京~山形間(東北新幹線と奥羽線)を直行運転できるようになり、乗り換えの必要がなくなった。在来線での最高時速は95kmから130kmに上がり、所要時間は最短で2時間27分となり、約40分の短縮が実現した。奥羽線区間は正式には在来線の扱いだが、全体を通して「山形新幹線」というニックネーム(通称)で呼ばれている。

仙山線経由の想定が奥羽線経由に

 このアイデアはJR発足前の1983年から、当時の国鉄内部で検討が始まった。北陸新幹線や九州新幹線など、全国新幹線鉄道整備法に基づき政府による整備計画が決まっていた区間以外にも、高速・大量輸送という新幹線の恩恵をもたらすことが目的だった。

 当初は東北新幹線の仙台駅で仙山線(仙台~山形間)につなぎ、東京~山形間の直行列車を走らせる想定だった。これだと、改軌工事が必要なのは仙山線の62.8km区間となる。奥羽線の福島~山形間87.1kmに比べると短い距離の工事で、山形駅からの東京直結が実現する

 ところが、この話が伝わった山形県側からの反応は、福島から奥羽線経由での実現を強く求めるものだった。それまで特急列車が走ってきた首都圏連絡ルートでもあるし、山形市のみならず米沢市、南陽市など県南部のより広い範囲に恩恵がもたらされるためだ。この要望を受けて国鉄や運輸省(当時)も前向きに検討を進め、1987年の国鉄民営化後にはJR東日本に実施主体が引き継がれていった。

改軌工事に2年

拡大山形~羽前千歳間では標準軌(左)と狭軌(右)の線路が並んでいる。標準軌の線路には山形新幹線と奥羽線の普通列車が、狭軌の線路には仙山線と左沢線の列車が走る
 実現に向けた工事は1988年から1992年にかけての約4年で、レールの幅を改める改軌工事自体は2年余りで成し遂げられた。この間、踏切を減らすための道路との立体交差化、速度制限の要因になっていたカーブ部分の改良なども実施された。工事で奥羽線の線路が使えなくなった期間には、不通区間での代行バス運行はもちろん、陸羽東線や仙山線を利用した夜行列車の迂回(うかい)運転もなされた。

 東京直結のためには、新幹線も在来線も走れる新しい車両が必要だった。在来線区間でレールの幅を新幹線区間と同じにするとは言え、他のさまざまな地上設備は基本的には変わらない。そのため新幹線の車両をそのまま利用することはできず、高さも幅も長さもひと回り小さな専用の新車両を求められた。しかも、それが新幹線区間では最高時速240km(開発当時)で走らなければならなかった。

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筆者

米山正寛

米山正寛(よねやま・まさひろ) ナチュラリスト

自然史科学や農林水産技術などへ関心を寄せるナチュラリスト(修行中)。朝日新聞社で科学記者として取材と執筆に当たったほか、「科学朝日」や「サイアス」の編集部員、公益財団法人森林文化協会「グリーン・パワー」編集長などを務めて2022年春に退社。東北地方に生活の拠点を構えながら、自然との語らいを続けていく。自然豊かな各地へいざなってくれる鉄道のファンでもある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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