活発化する改良工事の先に、フル規格の夢を追う奥羽新幹線構想
2022年10月31日
整備新幹線計画から外れた地域の在来線を新幹線と直結させて高速鉄道網に組み入れた「山形新幹線」。在来線の軌道幅を新幹線と同じ幅に広げたミニ新幹線方式で、1992年7月に福島~山形間で営業運転を始めた。それから30年が経ち、日本の鉄道開業150年とも重なる今年、山形新幹線をさらに改良し、フル規格新幹線の実現につなげる動きが目に付くようになっている。
ミニ新幹線は在来線と新幹線をつなぐ工夫として生まれた。JR在来線のレール幅は狭軌と呼ばれる1067mmだが、これを新幹線と同じ標準軌の1435mmに広げて、相互の乗り入れを可能にする。在来線でそんな改軌工事をするが、トンネルなどの構造物の大きさは基本的に変えないため、本来の新幹線より一回り小さな車両を走らせることになる。
東京~山形間の往来で言えば、1992年までは福島駅で東北新幹線から在来線である奥羽線の特急に乗り換えるのが、鉄道利用の際の一般的な経路だった。ミニ新幹線方式によって同じ車両が東京~山形間(東北新幹線と奥羽線)を直行運転できるようになり、乗り換えの必要がなくなった。在来線での最高時速は95kmから130kmに上がり、所要時間は最短で2時間27分となり、約40分の短縮が実現した。奥羽線区間は正式には在来線の扱いだが、全体を通して「山形新幹線」というニックネーム(通称)で呼ばれている。
このアイデアはJR発足前の1983年から、当時の国鉄内部で検討が始まった。北陸新幹線や九州新幹線など、全国新幹線鉄道整備法に基づき政府による整備計画が決まっていた区間以外にも、高速・大量輸送という新幹線の恩恵をもたらすことが目的だった。
当初は東北新幹線の仙台駅で仙山線(仙台~山形間)につなぎ、東京~山形間の直行列車を走らせる想定だった。これだと、改軌工事が必要なのは仙山線の62.8km区間となる。奥羽線の福島~山形間87.1kmに比べると短い距離の工事で、山形駅からの東京直結が実現する
ところが、この話が伝わった山形県側からの反応は、福島から奥羽線経由での実現を強く求めるものだった。それまで特急列車が走ってきた首都圏連絡ルートでもあるし、山形市のみならず米沢市、南陽市など県南部のより広い範囲に恩恵がもたらされるためだ。この要望を受けて国鉄や運輸省(当時)も前向きに検討を進め、1987年の国鉄民営化後にはJR東日本に実施主体が引き継がれていった。
東京直結のためには、新幹線も在来線も走れる新しい車両が必要だった。在来線区間でレールの幅を新幹線区間と同じにするとは言え、他のさまざまな地上設備は基本的には変わらない。そのため新幹線の車両をそのまま利用することはできず、高さも幅も長さもひと回り小さな専用の新車両を求められた。しかも、それが新幹線区間では最高時速240km(開発当時)で走らなければならなかった。
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