民間主導の取り組みが成し遂げた回復・復元の偉業
2023年03月15日
北の繁殖地から日本へやって来る冬の渡り鳥ガン。「雁(がん)」という漢字が当てられ、カリとも呼ばれる。現在、日本へ毎年定期的に飛来してくるのはマガン、ヒシクイ、コクガン、シジュウカラガン、ハクガン、カリガネの6種にのぼる。かつては日本各地で見られ、さまざまな文学作品にも登場するなど、日本文化の中で存在感を誇る鳥だった。それが、一時は渡来数が数千羽にまで減り、絶滅の危機に直面した。
しかし、国境を越えた保護の努力が重ねられ、今は宮城県北部を中心に20万羽以上が飛来するまでに回復した。昨年、日本に渡来するガンの調査研究を続けてその知識を大きく前進させ、生息環境の保全や個体数の回復などに大きな成果をあげたとして、「日本雁を保護する会」(呉地正行会長)が山階芳麿賞(山階鳥類研究所主催、朝日新聞社共催)を受けた。東京を離れて東北で暮らすようになったこの冬、私もガンを間近に見ることができた。同賞の記念シンポジウムなどでの報告をもとに、日本におけるガンの現状を振り返っておきたい。
日本はロシアの北東部、北極海沿岸やカムチャツカ半島などで繁殖するガンの越冬地だ。日本へ飛来するガンは、北海道や秋田県などを経由して宮城県北部のほか、新潟県、石川県、茨城県、島根県等の田園地帯で冬を過ごす。
かつては今の関西圏や首都圏を含む、もっと広い範囲に飛来していたようだ。
8世紀後半の奈良時代末に成立したという『万葉集』には、ガンを題材にした60首余りの歌が収められている。「巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし」や「秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ」には、巨椋(京都府南部にあった池の名)や大和(現在の奈良県)という地名が織り込まれ、こうした地域にもガンがいたらしい。平安時代に清少納言が記した『枕草子』にも「秋は夕暮れ。……雁などの連ねたるがいと小さく見ゆるは いとおかし。……」と、ガンが飛翔(ひしょう)する情景が描写されている。
手紙を意味する「雁書(がんしょ)」、斜めに並んだ隊形で飛ぶガンにならった「雁行(がんこう)」、その年に初めて北から渡って来るガンを指す「初雁(はつかり)」など、ガンにまつわるいろいろな言葉が今に伝わる。いちばん知られているのは、豆腐に野菜などを混ぜ合わせて油で揚げた食材の「がんも」だろうか。「がんもどき」が略されたこの言葉の由来は、ガンの肉に近い味わいだったからという説明をたびたび耳にする。
こんなに身近で、日本の文化の一部となっていたガンが減り始めたのは、明治時代になってからだという。
理由の一つは、江戸時代に敷かれていた禁鳥令がなくなり、誰もが銃で狩猟できるようになり、多くの鳥が乱獲されたこと。もう一つは、ガンが天敵から逃れて夜を過ごすねぐらや食べ物を採る餌場としての湿地が、開発などで失われていったことが挙げられる。
明治・大正の文筆家、森鷗外の小説『雁』を読むと、明治初期の東京・不忍池にまだガンがいたことがわかる。古参のバードウォッチャーに聞くと、長くガンの渡来地だった東京湾では、1963~64年のシーズンを最後に定期的な越冬群がやって来ることはなくなったそうだ。
ここからいち早く個体数を回復させたのがマガンだ。現在は20万羽前後と、日本で越冬するガンの大多数を占めるまでになった。ヒシクイも亜種ヒシクイと亜種オオヒシクイを合わせて2万羽ほどが来ているようだ。
この間、水鳥の生息などに重要な湿地を守るラムサール条約の登録湿地に、宮城県北部の伊豆沼・内沼や蕪栗沼(かぶくりぬま)・ 周辺水田をはじめとするガン渡来地の多くが指定され、国内での保護策がいっそう進められた。それと併せて、ロシアにおけるこれらの種の繁殖地が比較的健全に維持されてきたことも功を奏したのだろう。
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