サビーナ・カデール (公財) 川崎市産業振興財団iCONM・副主幹研究員
チッタゴン大学(バングラデシュ)卒業。チッタゴン工科大学で2年間講師を務めたのち、グリフィス大学(オーストラリア)で博士号を取得。2010年、東京大学大学院工学研究科の博士研究員として来日。2015年、ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)が創設されると、同センターの特任研究員として就任し、同年主任研究員に昇格。2023年4月より現職。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
出島に集まる好学者⑤ 更なる高みを目指した海外研究者との連携
「ナノ医療イノベーションセンター」(iCONM)は、ナノ医療に特化した公的研究機関で、国内はもとより世界中からトップレベルの研究者が集まっている。日夜取り組んでいる研究の一つが、薬剤を体内の狙った場所(多くの場合、患部)に届けるDDS(Drug Delivery System:薬剤送達システム)だ。
薬剤は投与された後、血流に乗って全身に分散し、何時間か経た後に尿中や胆汁中に排出される。もし、狙った組織だけに薬剤を送達する(届ける)ことができれば、投与量を減らすことができるばかりか、正常な組織を薬剤に暴露させるリスクも少なくできる。
さらには脳や筋肉、がん組織などは、薬剤が浸透し難い組織であることが、しばしば治療の妨げとなる。このため、こうした組織に薬剤を浸透させる技術の研究開発は、医療の進歩に大変重要である。
iCONMでは、ポリエチレングリコール(PEG)とポリアミノ酸(PA)からなる鎖状の高分子化合物に薬剤を連結させたものを水中で自然に凝集(自己会合)した「高分子ナノミセル」(スマートナノマシン®:以下ナノマシン)を基本構造に、用途に応じて様々なDDS機能を持たせることに成功している。
一般に、ナノミセルを用いたDDSを「ナノDDS」、その結果として実践できる医療技術は「ナノ医療:nanomedicine」と呼ばれる。本稿では、iCONM が目指す難治がん治療の取り組み「ナノDDS」について紹介する。
2022年11月に国立がん研究センターが発表した統計によると、日本人ががんで死亡する確率(2021年のデータに基づく)は、男性で26.2%(4人に1人)、女性で17.7%(6人に1人)とのこと。かつては、3人に1人ががんで亡くなると言われていた時から比べると、がん治療も大きく進歩しているのだといえる。
しかしながら、いまだ治療の難しい「難治がん」というものもあり、その代表格として膵臓(すいぞう)がんがあげられる。他にも、臓器別5年生存率だけを見ると比較的予後が良いとされる乳がんや胃がんでも、ホルモン剤やある種の抗がん剤が効きにくいトリプルネガティブ乳がんやスキルス胃がんのように予後が悪いものや、グリオブラストーマ(GBM:神経膠腫=しんけいこうしゅ)という進行が早く再発率も高い脳腫瘍(しゅよう)もある。
難治がんであっても、早期に発見し、外科手術で取り除くことができれば予後もそう悪くないこともあるが、早期発見が難しく、初診時に進行がんとして診断されることが少なくない。また、進行がんであっても副作用を制御しながら、がん組織を小さくし、あるいは消失させることができる抗がん剤が効きにくい。
近年の研究によれば、難治がんの特質として「間質」と呼ばれる線維組織が発達し、それがバリアーとなって薬剤や免疫細胞ががん組織に流入することを阻害しているようだ。特定の遺伝子発現(遺伝情報に基づいてたんぱく質が産生されること)の異常が、正常な細胞ががん化する原因となることも分かってきた。
例えば、難治がんでは、後述するPRDM14というたんぱく質が多く発現していることが知られている。このたんぱく質は、細胞の増殖を促し、胎児の成長にかかわるとされるが、出生後は発現しなくなる。PRDM14を発現している細胞は免疫細胞の攻撃から守られる性質があり、これが何かの原因で活動を再開すると、難治がんを生み出すという。