一色清
2010年06月24日
――メディアは今、大きな変わり目にあり、新聞社も新たなあり方を模索しています。米国では地方紙が次々に廃刊に追い込まれるなど厳しい状況です。われわれ日本の新聞社も厳しい環境のなか、ウェブでの展開をより加速、充実させていくことが大切になってきました。報道とかジャーナリズムというものが大きく変容しつつあるのだと思うのですが、日本における民主主義や政治などとの関わりにおいて、こうしたメディアの変化というものをどうみていますか。
テレビがますます多チャンネル化し、インターネットの世界が拡張していく流れのなかで、情報に対するアクセスの回路としては、ものすごく便利な時代が来ているということは間違いない。日本でも最近発売されたiPadや、スマートフォンといわれるものなどの端末機をイメージしてもらえばいいわけだが、そうした端末からグーグルなどの検索サイトで、キーワード検索をするだけで、ひと通りの現代用語の基礎知識レベルの情報を表層でもって理解するくらいのものまでは誰だってアクセスできます。
誰でもアクセス出来るっていうのは、大いに意味もあります。昔だったら、例えば新聞記者でも「朝日新聞の記者です」というステータスがなかったら、例えばペンタゴンだとか国会だとかいう所にアクセス出来なかった。そんな時代から見れば、今や高校生だってネット検索の技術さえちょっとマスターすれば、ペンタゴンのホームページだろうがホワイトハウスのホームページだろうがいくらでも入っていける。一定レベルの情報までは誰もが均質にアクセス出来るっていう時代に怒濤のように向かっているということは確かです。
ところが、それがすべてではない。私は自分の東京・世田谷にある3万冊の蔵書を九段の寺島文庫ビルに移してきている。そこで、早稲田大学アジア太平洋研究科に来ている留学生や、私が学長をしている多摩大学の学生たちによる、いわゆる研究クラスターを作って研究活動をさせている。私の集積してきた文献などをいろいろ利用させることが役立つと思えばこそです。
今も段階的に本を移している。しかも、神田神保町の古本屋街とも近い。私自身が、紙メディアの良いところ、つまりは文庫、書庫なんてコンセプトにこだわっている理由は、問題の本質を深く考える知に至るには、紙メディアによる相関と相乗ということがなければ知性は開かないと考えるからです。ウェブは情報にアクセスする回路としては効率的だけれども、それだけでは問題の本質に迫る知を獲得できない。キーワード検索だけで、自分が必要とする情報にピンポイントにアクセスできると考えるのは錯覚です。つまみ食いにすぎません。
――相関と相乗というのはどういう意味ですか。
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