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ジョブズが卒業式で贈った「ハングリーであれ、バカであれ」

小原篤次 大学教員(国際経済、経済政策、金融)

 ある研究会でグローバル経済について議論している時、スティーブ・ジョブズ氏の訃報に触れた。一度は会いたい経営者からもう会えない経営者になった。

 ジョブズ氏は成功と同じくらい多くの失敗を経験している。創業者でありながら、1980年の株式公開の後、自らが向かい入れた経営者、取締役会により解任された後、10年以上が経過した1996年のクリスマス直前、復帰が決まった時には、アップルは、マイクロソフト-インテル連合に大きくリードされていた。

 マイクロソフトがWindows95で、アップルが一足先に世に出した「マウスで操作できるパソコン」の地位を奪い、インターネット時代にも乗り、その存在を磐石にしていた。パソコンを立ち上げると、ウインドウズ、MACとも、同じような画面になっていた。そして1997年には、マイクロソフトがアップルに1億5000ドルを出資したほどパソコンをめぐる競争が終わるかに見えた。日本企業によるアップル買収の報道も出たほどだ。

 マイクロソフトは、コンピュータの巨人だったIBMのOSに採用され、ビジネスソフトを押さえながら、CPUのインテルと組み、より広範なハードメーカーに採用されることで、アップルを包囲した。マイクロソフトの成功の鍵は

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