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パックス・ゲルマニアの歴史的皮肉

浜矩子

浜矩子 同志社大学大学院教授(国際経済学)

 グローバル時代はパックス誰でもない時代。筆者はそう考えている。ヒト・モノ・カネが、いとも簡単に国境を越えて軽やかに地球経済上を渡り歩く。そんなグローバル時代においては、誰かが突出した強さを一手に独占することは出来ない。

 かつては、パックス・ロマーナがあり、パックス・ブリタニカあり、パックス・アメリカ―ナありだった。だが、今やそうはいかない。国境無きグローバル時代である。誰もが、地球規模のサプライ・チェーンの中に組み込まれている。その中で、かつてのローマやイギリスやアメリカのような突出は成り立たない。筆者はそう考えている。

 そう考えながら、実はこのところ「ん?」という感じがある。地球経済にパックス某氏は存在しない。それは間違いないと引き続き思う。だが、地球経済の中のEUという名の小宇宙においては、少々異なる構図が浮上しつつあるようにみえる。そこに垣間見え始めている世界を何と名づけるか。それはすなわち、「パックス・ゲルマニア」なのではないか。

 ギリシャの財政危機を巡る駆け引き・攻防・化かし合いが、相変わらず賑やかだ。さしあたり、追加融資の実行に向けて話がまとまりつつあるようにみえる。だが、そのことによって何かに何らかの決着がついたわけでは、決してない。だましだまし、ひび割れ茶碗をみんなでそっと捧げ持っているようなものである。

 そうした中で、何と言っても目立つのがドイツの存在感だ。メルケル首相の貫録は増すばかりだ。何しろ、

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