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楽観許されぬ日本国債の今後

賀来景英 エコノミスト

 大手格付け会社フィッチ・レーティングは5月22日、日本国債の格付けを、AAAマイナスから、1段階低いAプラス(最上位から5番目)に引き下げたと発表した。また、見通しもネガティブ(弱含み)とした。大手レーティング会社による最近の日本国債の格下げとしては、昨年1月のS&P、8月のムーディーズに続くものいであり、またフィッチ・レーティングによる格下げとしては、2001年11月以来、9年半ぶりのことである。

 以下、まず、レーティング会社による格付けの信頼性、とりわけ国債格付け(ソブリン格付け)の意味合いについての疑問を呈した後、それにもかかわらず、日本国債の市場評価の今後について楽観を許さないことを述べる。

 レーティング会社による格付けが、08年のリーマンショックに至る金融市場のバブル期に、複雑に重層化された証券化商品の過大評価の誤りに陥り、結果として、これら商品へのリスクを無視した過大投資を煽り、バブルを助長したとの批判を浴びたことは記憶に新しい。しかも、この時期、一部のレーティング会社が格付け対象証券の発行企業のコンサルタント業務をも兼営し、典型的な利益相反の弊に陥っていたことものちに発覚し、その後の金融システム改革論議の一つの焦点ともなった。

 筆者は、かねて、投資家からではなく、債券発行企業から手数料を受け取る格付け業務のあり方に疑問を抱いてきた。コンサルタント業務の兼営は噴飯ものとしても、発行企業への手数料収入の依存は利益相反の温床となりうるからである。

 因みに、発行企業からの手数料の受け取りは、非公開情報(発行企業からのレーティング会社によるヒアリングなど)にも依拠した格付けのあり方と不可分であるが、筆者がかって、アメリカの大手格付け会社を訪ねて、以前の公開情報のみに基づく格付け(いわゆる勝手格付け)と、現在の格付けとの、結果としてのトラックレコードの比較(結果として、どちらのやりかたの方が格付け対象債権の信用度を的確に測っていたといえるか)を尋ねたところ、どちらとも云えないということであった、と記憶する(発行企業からのヒアリングを実施することによって格付けの精度が上がったとは必ずしもいえない)。

 今取り上げているソブリン格付けは、対象国政府からのヒアリングなどに頼らない「勝手格付け」であるが、その判断基準が問題である。

 フィッチ・レーティングでは、「日本の公的債務残高が12年末までにGDPの239%に達すると予想され」、かつ、「財政健全化に向けた取り組みが切迫感に欠ける」と懸念を表明している。こうした指摘、懸念自体については、後に述べるように、残念ながら異論の余地はあまりなく(せいぜい、公的債務残高をグロスで見るか、ネットで見るかという問題ぐらいであろう)、日本の財政が危機的状況に迫りつつあることは筆者も認識を共有する。

 しかし、日本国債のレーティング、すなわち日本政府の債務履行能力の順位付けである以上、時間軸を考慮に入れた評価、その危機をどの程度差し迫ったものとして評価するかの評価が問われているはずである。最近の過去における、日本やアメリカの国債格付けの引き下げの場合と同様、今回も、市場がフィッチの判断にほとんど反応しなかったのも、「危機」の切迫度の認識に共感しなかったことを示している(「市場」はいつも正しいわけでは無論無く、むしろ過剰に触れやすくなっていることこそ昨今の大きい問題であるが)。

 日本の財政が危機的状況に迫りつつある、このままでは日本の財政がsustainableでないことについてはもはや贅言を要しないと考える。ここでは2点だけ指摘したい。

 第1に、

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