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鎖国シンドローム~内向き志向を考える~

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

 鎖国というと多くの人たちは江戸時代を思い浮かべるのでしょう。しかし詳細に日本の歴史を見てみると、日本は開国と鎖国、より正確に言うと、開かれた時代と閉ざされた時代を交互に持っていることに気づきます。

 邪馬台国から大和朝廷に至る時代は、日本が任那(みまな)に日本府を持っていたとされるなど、日本と朝鮮半島・中国との関係は極めて近かったのです。白村江の戦の敗北で一時交流は途絶えたものの、奈良時代に入ると遣唐使が復活し全面的に中国文化が導入されたのでした。奈良時代の都、平城京は長安をモデルに造営されたものでした。

 しかし平安時代に入ると唐との関係は次第に希薄になり、894年には菅原道真によって遣唐使は廃止されます。日本は事実上の鎖国状態になり、いわゆる国風文化の時代に入っていくのです。

 日本と中国との交流が再び活発になるのは平安末期、平清盛の時代です。清盛は日宋貿易に力を入れ、宋との深い交流は鎌倉時代に入っても続きます。栄西や道元が入宋し、いわゆる禅宗を日本に導入します。また、宋が金の侵攻により江南に逃れ南宋ができると、日本との交流はますます盛んになり、13世紀末には執権北條時宗は南宋より無学(むがく)祖元(そげん)を招き、鎌倉に円覚寺を開山させています。

 しかしこの動きも元寇によって閉ざされます。文永・弘安の役では荒海と台風によって元による侵略を免れますが、

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