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[6]ジャーナリスト・高橋篤史との対話(中)

大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

 私も取材拒否にあうことは日常茶飯事的に多いうえ、相手先から訴訟をちらつかされる「恫喝」まがいのことを何度か受けたこともある。大手企業から広告出稿を停止されて、その余波で編集長が異動になるといった騒ぎになったこともある。夜中に自宅の街灯を割られたり、早朝、玄関先に大量の血をまかれたりしたこともあれば、何者かに自宅に押し入られ室内を荒らされたこともある(いずれも犯人は捕まっていない)。

 

 「民族派も黙ってねえよ」などという右翼団体を通じて脅そうという電子メールを4回送り付けられたこともある。

 

 比較的オーバーグラウンドな経済事象を取材することの多い私でさえこうなのだから、彼の場合はもっときわどいことがあっても不思議ではない。

 

 ――そうした取材で高橋さんは、危険な目にあうことはないですか?

 

 高橋 ヤクザから電話がかかってきたことはありますけれどね。「住吉会系のダレソレだけれど」と名乗って、抗議を受けたことはあります。

高橋篤史氏

 (私が恫喝を受けたことのある、とある上場企業の経営者からは)僕も恫喝まがいのことを言われたことはありますけれどね。取材に出かけると10人ぐらいがずらりと勢ぞろいしていて、「(ライバル誌の)ダイヤモンドには裁判を起こしているぞ」と脅されて。「いえ、裁判は慣れていますから」と答えまして(苦笑)。

 

 裁判はこれまでに4件ほど起こされたことがありますよ。

 

 ――裁判起こされたら嫌になりませんか? 会社(東洋経済新報社)も嫌がるでしょう。訴えられて、自身が萎縮したり、週刊東洋経済の編集部が高橋さんのことをもてあましたりしませんか。

 

 高橋 4回も起こされているせいか、いまでは訴えられても精神的な痛手になるということはないのですが、準備書面を用意するために資料をまとめたり、陳述書を書くために弁護士から長時間にわたってインタビューを受けたり、そういうことで時間を費やされるのが困りますね。それによって前向きなことに時間が割けなくなるので。

 

 東洋経済の中ではむしろ「高橋は好きなことを書いている割には訴えられないな」と言われていたんですが、いろいろと問題のある監査法人のことを2005年に書いたら訴えられました。いわゆる「ハコ企業」(注・怪しいアンダーグラウンドな経済人が乗り込んで会社資産を食いつぶしたり、株式や債券を発行して食い逃げしたりするのに使われる上場企業のこと)の監査を専門的にやっているところで、そこが1億円の請求で訴えてきたんです。でも、こちら側が準備書面を1回出した程度で、半年もたたずに向こうが訴えを取り下げてきました。

 

 その次に大証二部上場のシグマゲイン(注・その後、ユートピアキャピタルを経てサンライズ工業に名称変更)から訴えられました。もともとは中川無線電機という家電量販店だったのですが、そこがヒルズバブルのころに投資会社に変貌して経営陣も総入れ替えになり、周辺に投資組合をいっぱい作って不透明な金銭なやりとりをしていたのです。

 

 大証もおかしな会社だと思い、上場廃止にしたかったようなのです。それで大証が、週刊東洋経済など経済誌に載っている記事をもとに「ここで書いてあることは本当か」とシグマゲインに迫ったようなんですね。大証が「裁判を起こしてでも身の潔白を証明せよ」と追い込んだらしく、それで窮鼠猫をかむように本当に裁判をおこして身の潔白をあかそうとしたという(苦笑)。取引所も、もう少し自分で調べる力を身につけてほしいものですよ。結局、編集後記に読者が見たら何のことかわからないような「お断り」と題する短い記事の説明文みたいなものを載せることで和解したのですが、そのあとシグマゲインは上場廃止になりましたね。

 

 その次が、過払い金返金請求バブルを記事にした際に、とある成長著しい法律事務所から訴えられました。このときは、こっちのネタ元が誰なのか探ろうとしているな、という印象を受けました。これも実質的には原告側の取り下げで終わりました。

 

 4回目が、2年前のオリンパスの事件に関する記事で、オリンパスの粉飾決算と外部の協力者がかかわる人脈を書いたところ、その中の1人から訴えられました。一審判決は原告の訴え棄却だったのですが、控訴してきたのでまだ続きそうですね。

 

 そういう訴訟リスクがあるので、取材の過程では、たとえば数字は何度も問い返して念を押します。それに基本的には証言だけで記事をつくらない。話し手の記憶には間違いも多いし、人によっては誇張されていたりする。引用するカギカッコ内は、その人が受けた印象などに限定して、カギカッコ内に事実関係を盛り込まない。基本的な事実関係は、別の話し手の証言と付き合わせたり、取材で得た証言とは別に入手した資料をもとに構成したりするようにしています。つまり証拠となる紙に依拠するようにしています。

 

 企業の経済的利益に直結することを書けば、相手方が遮二無二なって反発してくることはままありまして、四季報で担当していたグッドウィル・グループはその典型例でしたね。僕は、事業の急拡大をいたずらに追い求め、株価をあげることに血眼になっている折口雅博会長の経営者としてのあり方には批判的だったので、彼らの出してきた業績予想をうのみにせずに、多少厳しめに書いたところ、先方のIR担当から編集部に対して執拗な抗議があって、「あの記者を代えてくれ」と。でも、会社側はえらいもので、代えませんでしたよ。

 

 ――そういう気概が業界全体で失われてきていませんか? 言ったもんが勝ちみたいなところがあって、訴訟はもとより抗議や苦情に極めてナーバスになってしまい、安全運転しかしなくなっています。

 

 高橋 そういう業界全体の空気は感じます。とりわけ雑誌ジャーナリズムの衰退を感じますね。

 

 ≪高橋の4冊目のノンフィクション『凋落』の「あとがき」では、木村剛の振興銀行事件について雑誌に発表の場があまりなかったことを指摘し、「媒体の『受け』が極めて悪かった(中略)早くから報道が大量に行われていれば(中略)損害も少なく済んだはずであり、忸怩たるものがある」(283ページ)と振り返っている。そうなった背景に「雑誌ジャーナリズムの劣化」を挙げ、「過度のマーケティング志向と、名誉棄損訴訟の頻発・高額化による萎縮とが、そこには横たわっていると思う」と記している≫

 

 一般の雑誌が、経済用語や金融用語が頻発するような小難しい話を敬遠する傾向がきわめて強くなっていると思います。まず、編集者が非常に不勉強なことが多く、テレビ番組のワイドショーに企画のコンセプトを頼りがちなんです。新聞やテレビに先んじてゲリラ的に挑まなければならない雑誌ジャーナリズムが、テレビの高視聴率企画のおこぼれにぶら下がっている。

 

 あまりリテラシーのない読者にも受け入れられようと、非常に単純明快な勧善懲悪の構図とかにしたがる。だからすごくわかりやすい構図に落とし込まないと、

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