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[7]ジャーナリスト・高橋篤史との対話(下)

大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

 ――フリーランスになって組織ジャーナリズムへの見方は変わりましたか?

 

 高橋 僕はそれぞれのやり方でいくのが良いと思っていて、組織ジャーナリズムだからといって一概に否定する気はまったくありませんね。組織ジャーナリズムでなければできない分野もある一方、フリーランスだからこそできるものもあると思っていますよ。

高橋篤史氏

 東日本大震災のときにNHKが果たしたような、速報性が求められて、しかも大がかりな取材体制を組まないと事象をつかみきれないというようなことは、とてもフリーではできない。記者を各地に張り付けるのは組織ジャーナリズムではないと、できないことだと思っています。

 

 よく批判される記者クラブ制度や発表ジャーナリズムですが、官公庁の動きをチェックするための記者クラブはあってもいいと思っていますよ。それが結果的にはきわめて単純な発表ジャーナリズムにしかならなかったとしても、発表モノを誰かがフォローする必要はあると思います。

 

 僕は朝日新聞を購読しているのですが、読み応えがある記事を見かけることがありますよ。特に地方版のページ。僕は神奈川版を読んでいますが、街ネタを掘り下げるような試みで書かれた記事をたまに見かけます。踏切で老人が電車でひかれた背景を探った記事(2012年12月24日付神奈川県版「拝啓 記者になりました1」大坪実佳子記者)とか。僕はそういうのを読みたい。深く取材したものだと、そういうのを気づかされてくるのが面白い。

 

 ――地方支局のほうが自由度が高い半面、東京本社は発表モノばかりで翼賛報道的になりがちなんです。東洋経済もそうかもしれませんが、書かない記者ほど「事故る」リスクからは遠いので社内の階段をステップアップする半面、書く記者ほど誤報や訴訟など「事故る」度合いが高まり、途中で排除されていってしまう。それで紙面が凡庸化・平板化しています。

 

 一方、本来ゲリラ的な出版部門は慢性的な部数低下に歯止めがかからず、雇用形態が複線化し、朝日新聞社の正社員、朝日新聞出版の正社員、さらに契約社員や常駐しているフリー記者など労務面で「格差」を生んでいます。このことがいろいろな問題を生じさせる遠因になっています。

 

 高橋 それも東洋経済を辞めた理由の一つでして、書かない記者は結構な報酬を得て「お気楽サラリーマン」ですむのですよ。それに対して整理部や制作部は正社員は1人とか2人だけで、あとは派遣社員。やっている仕事はそんなに変わらないのに、正社員の半分の給料の派遣社員が深夜までレイアウトをつくってくれて。

 

 一方で週刊東洋経済は偽装請負とか派遣や非正規労働の問題を「正社員化しろ」と結構の頻度でやっていたのですが、それに偽善を感じてしまって。東洋経済はマスコミの中では給料がよく、高待遇が既得権になっているのにもかかわらず、

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