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日本のガラパゴス経済学を解剖する-貨幣数量説を否定するのは何故か?-(下)

吉松崇 経済金融アナリスト

 1960-70年代のいわゆるケインジアン-マネタリスト論争の勝者は、明らかにミルトン・フリードマンである。これは、マネタリストは勿論のこと、殆どのケインジアン(例えば、ポール・クルッグマンやベン・バーナンキFRB議長)も認めている。

 そして、敗者は当時のケインジアン、とりわけインフレの原因を労働組合の賃上げ闘争に求め、「コストプッシュ・インフレーション」を唱えたケンブリッジ大学のジョーン・ロビンソン、ニコラス・カルドアといったエコノミストであった。何故なら、彼らのロジックではスタグフレーションという現象を論理的に説明できないからだ。

 「インフレ・デフレがマネタリー(貨幣的)な現象である」というのは、英米圏の大学・大学院で教育を受けたエコノミストなら、殆どの人(恐らく80%以上)が合意するテーゼである。貨幣的な現象であれば、金融政策でしかこれを変えることは出来ない。黒田日銀総裁の「デフレからの脱却は日銀の責任」という主張は、この80%以上のエコノミストの常識と一致する。

ミルトン・フリードマンが嫌い!

 ところが日本では、ミルトン・フリードマンはすこぶる評判が悪い。リベラリズムの伝統の強い日本の大学では、市場至上主義のリバタリアンであるミルトン・フリードマンの政治思想が忌避されるのだろう。これに加えて、フリードマンが1970年代に、軍事クーデターで共産党政権を倒したチリの軍事独裁政権、ピノチェト大統領に対して、経済政策のアドバイスを行ったことが、フリードマン・アレルギーの火に油を注いだことは間違いない。クーデター当時、共産党政権の関係者やこれを支持する市民の大虐殺が行われたのは、紛れもない事実だからだ。

 しかし、政治信条と経済分析は全く別物である。勿論、英米圏のリベラル派、例えば、ポール・クルッグマンは、フリードマンの政治信条を厳しく非難する。しかし、彼をはじめとする現代のケインジアンは、フリードマンの業績と、その後継者たちの貨幣論・金融論の革新を、自らの経済モデルに取りこんで、60年代のオールド・ケインジアンから格段に進化している。

 一方、日本ではフリードマンはアレルギーの対象であり、その業績を無視した議論が横行している。吉川氏の主張はその典型である。貨幣数量説を否定し、カルドアを引用して、

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