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憲法改正、十分な議論を尽くして

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

 周知のように現在の日本国憲法は1946年2月4日から12日の9日間でGHQの民政局によって作られた。

 もちろん、日本政府も松本烝治国務大臣を中心に憲法草案を用意し、甲案・乙案を作っている。この松本草案は1946年2月1日、毎日新聞によってスクープされ、その日の夜、日本語でGHQに届けられた。

 GHQはこれを英訳しマッカーサー元帥に報告するが、マッカーサー以下のGHQは松本草案は保守的過ぎて到底受け入れられないとし、2月3日にホイットニー民政局長がケーディス大佐などに民政局による草案の作成を命じたのだ。

 当時、民政局を仕切っていたのはケーディス大佐、ハッセー中佐、ラルエル中佐のいわゆるハーバード3人組。3人ともハーバード大学の卒業生で左翼ではなかったが、極めてリベラルな考え方の持ち主だった。

 実は筆者の父は芦田総理の政務秘書官でGHQの担当だったので、ハッセー中佐がしばしば筆者の鎌倉の自宅を訪れてきた。当時、筆者は5歳から6歳。話の内容は理解できなかったが、

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