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[14]探訪記者・坂上遼(小俣一平)との対話(上)

大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

 自らを「探訪記者」と呼ぶ坂上遼の3冊のノンフィクション――『無念は力』『ロッキード秘録』『消えた警官』は、今と違ってジャーナリズムが輝いて見えた「グッド・オールド・デイズ」を描いた力作で、しかも達意の文章でとても読みやすい。あえて古風な「探訪記者」と名乗るのも、往時をしのぶ姿勢のあらわれかもしれない。

 「『坂の上の雲』の司馬遼太郎」から命名した「坂上遼」というペンネームを使うのは、NHK社会部出身の小俣一平・東京都市大教授だ。探訪記者(ルポライター、ノンフィクション作家)に大学教授、そして出版社社長と一般社団法人の理事という四足のわらじを履いている。

 定年の60歳を過ぎても自分が属する新聞社や放送局にぶら下がろうとするサラリーマン記者のなれの果てより、ずっと人生を楽しんで生きているように見える人だった。

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 ――まったく初対面なので時系列にお話をお聞かせください。

 小俣 いや、その前に私のようなものでもいいのか、こんなヨレヨレの記者になぜインタビューするのか、おそらくWEBRONZAの読者も奇異に感じるのではないかと気になっているのです。取材して、人の話を聞いて記事にするのを生業にしてきましたから、他人から申し込まれれば断る理由はないというのが私のスタンスではあるのですが。

 ――近年読んだ日本のノンフィクションの作品の中で、坂上遼(小俣)さんの三つの作品はいずれもクオリティーが高かったからです。それにNHK記者という組織ジャーナリストとして過ごしてきた人が、組織の論理と自らの創造性についてどう折り合いをつけてきたのかにも興味がありました。まとめて言えば「記者としての生き方」に関心があり、それをうかがって後進の参考にしたいのです。

 そもそも、どういうきっかけで記者になろうと思ったのですか。

 小俣 生まれたのは、国東半島の付け根にある城下町、大分県杵築町(現杵築市)です。私は小学校3年生の時から新聞記者になりたくてね。3、4年生のときの担任の佐藤孝義先生が新聞を授業に取り入れる先生だったのですが、クラスを四つか五つの班にわけて班ごとに壁新聞をつくらせるんです。近所で何があったのかを書くのが楽しくてね。授業中に消防のサイレンが聞こえてきて、校舎から乗り出してみると寺町の方向が燃えている。「お寺が焼ける」と思ったとたん授業中なのに駆け出して行ったのです。私は初めてお寺の火事を見て興奮しましてね。文化財みたいなのを手渡しで運び出しているのをつぶさに見て、「けがした人はいますか」とか詳細に聞いて回って教室に戻ったところ、授業中飛び出していった私を叱るどころか、先生のほうが「どうだった」と聞く。もう得意になって説明して(笑)。それがおもしろくてね、やがてガリ版の学級新聞をやるようになりました。

小俣一平・東京都市大教授。ペンネームは坂上遼
 それでも飽き足らなくて、自分の住んでいる城山区という地域で、「しろやま子ども新聞」というのを発行しました。発行部数は22~23部。タダの新聞だったのに、三隅さんという家のおばさんが、「新聞代」と言って100円くれたこともありました。

 それが高じて中学で新聞部に入って新聞部長、高校でも新聞部で新聞部長。中学2年のときに顧問の先生が「小俣、おまえ新聞つくるのが好きだな。蛙の子は蛙だな」と言われて。そのときまで私は全然知らなかったので、「えーっ」と驚いたのですが、親父は毎日新聞の記者出身で、祖父は九州日報(西日本新聞の前身のひとつ)の記者だったんです。

 父は戦前の毎日新聞西部本社の記者でした。毎日の西部本社では敗戦の8月15日の翌日から数日間、白紙の新聞を出したことがあるのです(注・当時の編集局長らが戦争に協力したことの反省を示して発行したもので、「白紙事件」といわれる)。それでウチの親父も編集局長と一緒に辞めて大分に帰ってきて、地元の別府大の財政学の教授をしていました。

 父も大学の授業で新聞記事を活用しているようでしたね。そのせいか、ウチにはいっぱい新聞があって、朝日新聞をはじめ、西日本、大分合同だけでなく、毎日小学生新聞があって毎日新聞があって、社会新報があって赤旗があって週刊民社もあり、ときどきル・モンドもある、新聞だらけの家なのですよ。

 それで子供のころからなじんでいる毎日新聞社に行きたかったんです。

 ――高校、大学は?

 小俣 私は大分杵築高校時代から学生運動に参加していてね。1年の時にエンタープライズ反対闘争で佐世保に行き、2年のときには大分大学にデモに行っていた。当時は県内の高校生の部隊のほうが大学生よりも多かったんじゃないかな。おもしろくてね。

 18歳の時に東京に出てきたものの大学受験に失敗して、

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