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辻静雄と日本のフランス料理

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

 辻静雄は当初は大阪読売新聞の記者。25歳で勝子夫人と結婚してから料理の世界に入っている。勝子夫人の両親は割烹学校、料理学校を経営していた。そんな縁で辻はしばらくして読売新聞を退職し、料理学校の世界に入っていく。

 彼は「ラルース料理大辞典」を熟読し、フランス料理の勉学に励むのだが、ラルースから得た知識と現実に作られている日本のフランス料理の世界が全く違うことに気がついた。そうした状況のなかで、たまたま知り合ったロシア系ユダヤ人のジャーナリストからアメリカの料理評論家で「ジ・アート・オブ・イーティング」の著者フィッシャー女史を紹介され、彼女のつてで欧米への料理探訪の旅に出ることになったのだった。

 辻静雄は勝子夫人とともにアメリカ経由でフランスを訪れ、まずビエンヌの名店「ピラミッド」のマダム・ポワンを訪ねる。筆者も20年程前、ピラミッドを訪れているが、まだマダム・ポワンは存命だった。辻夫妻はピラミッドを皮切りに、次々と、トロアグロ、ボキューズ、ピック等、名だたる人達のレストランを訪れた。パリではレイモン・オリヴェの「グラン・ヴェフール」を訪れた。後に辻調理学校の第一号の留学生をここに送ることになる。

 この妻勝子との欧米旅行の費用は500万円、当時の新聞記者の年俸の20倍もの大金だった。そして3カ月間ほとんど毎日フランスの名店を食べ歩いたのだ。辻静雄はこの旅行が終りに近づいた頃、

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