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[2]渦巻く「知」へのヘイトに向き合う

話題の本を知らず、読んでいなくても恥じない彼らとの対話は可能なのか

香山リカ 精神科医、立教大学現代心理学部教授

 新年になっても、相変わらずネット空間を中心に凄まじい「知」へのヘイトが渦巻いている。

 前回、保守的かつ挑発的な発言を繰り返す――自身でも以下のようにその単語を使っているので、「ネトウヨの」と言ってしまってもよいのかもしれない――ツイッターの“有名人(とはいえ本名、職業などはいっさい不明)”から、「戦後生まれの人間がいつまでも戦争責任だの植民地支配だの言われ続けることは、日本人に対する不利益・差別に該当しないの?」という質問が投げかけられた、というエピソードを紹介した。

 彼はその後、私に対して「『いつまでも敗戦国民として断罪され続けるマイノリティ・弱者・被害者としての日本人』についてコメントよろしく」と繰り返し迫ってきた。

1冊の本を紹介すると

白井聡氏の『永続敗戦論』は大きな話題に

 「戦争責任は世代を超えて担うべきか」との問題意識そのものは重要なものだ。しかし、これに関してはマイケル・サンデルを持ち出すまでもなく、すでに膨大な議論の集積がある。それらをいっさい踏まえずに「知ったことじゃねーよ」と断言する人に、これまでの議論をひとつひとつ紹介して解説しながら、さらに持論を伝える、という余力は私にはとてもなかったので、私は1冊だけ本を紹介することにした。白井聡氏の『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版、2013)だ。

 ここでカール・ヤスパースやハンナ・アーレントなど私自身が少なからず影響を受けてきた人たちの名前を出して「戦争責任論」を語るのはいささか教条主義的すぎると思ったので、若い論客(白井氏は77年生まれ。ただ先ほどの質問主が何歳なのは不明)の話題作なら相手も抵抗はないだろう、と思ったのだ。

 周知のように本著は、日本が「敗戦」を本当の意味でスルーし続ける「否認の構造」こそが逆に「永続敗戦」という構造を固定化させ、本当の意味での戦後を迎えられないまま、ボーダレス経済社会で矛盾やコンフリクトに直面している現状を解き明かした労作である。

 その矛盾とは言うまでもなく、「米国に対しては敗戦によって成立した従属構造を際限なく認めることによりそれを永続化させる一方で、その代償行為として中国をはじめとするアジアに対しては敗北の事実を絶対に認めようとしない。このような『敗北の否認』を持続させるためには、ますます米国に臣従しなければならない」というダブルスタンダードである。

右寄り、左寄りといったスタンスで書かれたものではないが…

 著者はあとがきで「本書は、これまで何度も指摘されてきた、対内的にも対外的にも戦争責任をきわめて不十分にしか問うていないという戦後日本の問題をあらためて指摘したにすぎない」と謙遜するが、外交文書や条約などの一次資料にあたりながら問題の本質に迫るという点では、対米従属を頭ごなしに否定したりアジア諸国へのさらなる謝罪を一方的に要求したりする感情論、精神論的な主張とは一線を画する。いわゆる右寄り、左寄りといったスタンスで書かれたものでもない。

 これらの点から、私はこの『永続敗戦論』であれば、活字よりネットに親和性が高い世代や層にもすんなり受け入れられ、議論の土台になるのではないか、と踏んだのである。というより、少なくとも「敗戦」という問題にこれほど執着する人であれば本著をすでに読んでおり、その上で挑発的な質問を繰り出しているのではないか、と期待もしていたのだ。未読であるにしても本書が話題作であることくらいは彼やそのファンたちもネットメディアで目にしているだろうから、何人かは「そうか、戦争責任を論じるならこれを読んでいないとヤバイのか」と幾分の恥ずかしさとともに気づき、あわててこれからでも読んでくれるかもしれない。そんなふうに考えたのだ。

 別に彼らを啓蒙したいという野心などないのだが、私と言葉遊び的な水かけ論を繰り返すよりは、まだ本書で紹介されている「サンフランシスコ講和条約」の内容について語り合うほうが少しは生産的だ。

 ところが、その目論見は見事に失敗した。それへの彼の返答は、

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