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国内の意見まとまらず、難航する英のEU離脱交渉

離脱日まで半年弱、与党も野党も国民も分裂状態のまま

小林恭子 在英ジャーナリスト

 英国が欧州連合(EU)から離脱する「ブレグジット」まで、あと半年を切った。どんな条件で離脱するのかについて、EU側との交渉が行き詰まり状態となっている。いくつか合意している事柄もあるが、100%確実なのは「2019年3月29日」という離脱日だけだ。

 EUの単一市場、関税同盟から完全に離れる「ハードブレグジット(強硬派)」になるのか、一部の規則に従う「ソフトブレグジット」(穏健派)なのか、あるいは交渉決裂で「合意なき離脱」になるのか? 現時点では皆目不明だ。

 いったんEU加盟国となってから離脱した国は他にないのだから、すべてが初の試みだ。また、英国がEUの前身の欧州経済共同体(EEC)に加入したのは1973年だが、45年にわたる関係を断ち切るには相当の覚悟と手間がかかる・・・ということは理解できる。

 しかし、それにしても、なぜこうも先に進まないのか?

 指導力を発揮できないメイ首相、EU側の硬直的な交渉態度、長年一緒にいたパートナーとの「離婚」の難しさなど複数の理由が挙げられるのだが、ここではほかのEU諸国や日本など「外」から見たときに「?」となる、英国の内情を説明してみたい。

最大の要因は意見の分裂

ロビー団体「離脱は離脱だ」の集会で話す、ファラージ氏(イングランド地方北部ボルトンにて、9月22日。筆者撮影)
 離脱交渉難航の最大の原因は、実は交渉以前の問題で、英国内が1つにまとまっていないことに由来する。

 国民投票の結果、離脱派が僅差で勝って離脱が決まり、国民は離脱派(51.9%)と残留派(48.9%)の真っ二つに割れた。

 さらに、「心は残留だが行動は離脱支持」という政治家が実に多いことで、事態がさらに複雑化している。

 そんな政治家は与野党にたくさんいるが、二律相反する感情を体現する政治家の代表がメイ首相である。2016年6月の国民投票(EUから離脱するか加盟を継続するかの二者択一)で、当時内相だったメイ氏は加盟継続派=残留派だった。キャメロン首相も含め、政界・大企業の経営陣・知識人など、エスタブリッシュメント層は残留派が大部分だった。

 残留派キャメロン氏が首相を辞任したので、与党・保守党の選挙が行われ、「勝ち目がない」と見た複数の候補者が続々と出馬を辞退する中で、メイ首相が党首そして首相に就任した。

 メイ首相としては、心は残留派でありながらも「ブレグジットを実現する」ことを政権の使命として宣言せざるを得なくなった。「ブレグジットはブレグジット(ブレグジットを断固として実現する)」が合言葉となった。

 ブレグジットに本気であることを示すため、メイ首相は離脱派の指導的政治家ボリス・ジョンソン氏に加え、同じく離脱派のデービッド・デービス氏、リアム・フォックス氏などを入閣させた。ジョンソン氏は外相に、デービス氏は離脱担当大臣は抜擢された。

政権の分裂、与党の分裂

首相案は「夢想の国の提案」とするリースモッグ議員の発言を掲載するデイリー・テレグラフ紙(10月3日付)
 2017年1月、メイ首相は英国はEUの単一市場からも関税同盟からも抜け出る、欧州司法裁判所の管轄下に入らないと宣言し、「強硬派」のラインを示した。

 しかし、政権内は割れていた。ジョンソン氏を代表とする強硬派がいる一方で、表向きは離脱派、心は残留派のメイ氏を中間の位置に置くとしても、ブレグジットの経済への悪影響を懸念し、なるべく現状に近いブレグジットを望むフィリップ・ハモンド財務相を含む数人のグループがいた。

 ブレグジットをめぐる内閣の分裂は、保守党内の分裂を反映していた。

 保守党は、過去数十年にわたり「欧州懐疑派」を内在する政党だった。

英国とEU そもそもの始まりから「離婚」に向かうまで

 1960年代、EECへの加盟を2度申請したが、そのたびにフランス・ドゴール首相の「ノン!」で拒絶され、ようやく加盟が実現したのが1973年。

 加盟後も欧州懐疑派勢力の息は続き、メージャー首相が現在のEUを設立した「マーストリヒト条約」(1991年に協議がまとまり、92年調印。93年発効)を主導すると、これに抗議して離党したのが、のちに英国独立党(UKIP)の党首となる保守党員ナイジェル・ファラージ氏だ。

 英国のEUからの離脱というたった一つの目的を持つ政党UKIPは、長年泡沫政党と目されてきたが、2014年の欧州議会選挙で保守党を抜いて第1党となったことで大きな注目を浴びた。「EUに加盟し続けるのか離脱するのか、国民投票をするべき」というUKIPの要求は草の根運動として広がり、キャメロン首相も無視できなくなった。これが2016年の国民投票実施、そしてキャメロン政権の崩壊につながった。

 メイ政権内の強硬派と穏健派の対立が大きく表面化したのは、今年7月だ。

 内閣内でまとめた離脱交渉案(首相の公式別荘チェッカーズで決まったので、「チェッカーズ案」と呼ばれる)に対し、これが親EUすぎるという理由でデービス離脱相、ジョンソン外相が抗議の辞任をしたのである。離脱担当自身が辞任とは、相当大きな衝撃である。ジョンソン氏は次期首相候補ともいわれ、党内で非常に人気が高い政治家だ。ほほ同時に主要閣僚を二人も失ったメイ首相の指導力に改めて大きな疑問符が付いた。

 党内には、筋金入りの強硬派ジェイコブ・リースモッグ議員が率いる「欧州調査グループ」(ERG)もある。50人から60人が所属しているとされ、ERGはメイ首相にチェッカー案の再考、つまりより強硬的な、きっぱりとEUとは縁を切ったブレグジット案を求めている。

 離脱決定後、UKIPはすっかりかつての勢いをなくしてしまったが、「完全に縁を切るブレグジット」を望む人々が集まったロビー団体「離脱は離脱だ」がその運動を次第に拡大しており、UKIPの党首を辞任したファラージ氏、デービス氏が決起集会で演説を行っている。今後の集会ではリースモッグ議員も演説予定で、市民を巻き込んでの強硬派勢力はメイ首相に絶え間ないプレッシャーを与えている。

労働党の分裂とねじれ

 最大野党労働党は、さらに複雑な分裂状態にある。

 党内左派を代表するジェレミー・コービン氏の本心は、EU懐疑派と言われている。長年にわたってEUを批判しており、親EUだった「ニューレイバー(新しい労働党)」と呼ばれた勢力とは一線を画す。

 しかし、国会議員の大部分がEU残留派であったこともあって、2016年の国民投票で労働党は残留キャンペーンを展開した。

 ところが、

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