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密売、密輸……頭の痛い国境管理

佐藤剛己 ハミングバード・アドバイザリーズ(Hummingbird Advisories)CEO

クアラルンプールでのカンファレンス=2018年3月22日、筆者撮影

 少し前になるが今年3月22日、マレーシアの首都クアラルンプール(KL)で密貿易に関するカンファレンスがあった。300人以上は来ていただろう会場は税関当局者、研究者、NGO、企業担当者などであふれ、「メキシコから出荷されるアボカドには地元テロ集団の『税金』が課されている。だからメキシコ産を買うとテロに資金提供しているのと同じ」などの生々しい話も多く、議論は活況を呈していた。

たばこ業者の苦渋

 たまたま座った8人用丸テーブルに、一様に苦々しい顔をした数人が一緒だった。折しも壇上では、「マレーシアは違法タバコの取り締まりができていない」と喧々囂々の最中。休憩時間に挨拶すると、某国タバコ製造会社の人たちだった。「マレーシアで買える正規品はわずか。偽物の専有率は半分以上で、完全に席巻されている」と吐き捨てた。

 偽物が半分以上ということは、貿易管理に構造的問題があるということに等しい。それは取りもなおさず国境管理と同じなのだが、タバコに関して言えば、偽物は北のタイから陸路海路でやってくるらしい。タイとマレーシアの国家間で国境管理の話題が尽きないのは、そうした背景もある。タバコとアルコールの密輸についてマレーシア政府は10月3日、ムチ打ちを含む罰則強化の方針を打ち出している。

 陸伝いでの国境を例に取ると、タイ・マレーシア国境は約640キロ。チェックポイントは8か所しかなく、フェンスもろくな設備ではない。国境を往来するのは、生活必需品から、密貿易、テロリストの往来など。どれも日常に溶け込んで起きている。世界的なテロ事件で、この陸路がテロリストの移動に利用されたという事案も多い。そもそも、国境に接するタイ側のソンクラー県などは、歴史的経緯もあって両国の市民権を有する人が多く、行政もその数を把握できていない。チェックポイントの賄賂慣行がひどいことと相まって、管理どころではないのだ。

延々と続くタイ・マレーシアの国境協議

 KLのカンファレンスの1週間ほど前、3月15日にタイ・バンコクでは、両国国防大臣による「Thai-Malaysia General Border Committee」が開催されていた。国境の一部約11キロで新たに国境壁を設ける他、両国市民権を持つ周辺住民の問題(テロリストの行き来を助長している可能性)についても対処することで合意した。ただ、「詳細は後刻」というのが今年3月時点の発表で、その後の進展は公表されていない。同委員会は、1965年3月に両国で合意された会議体。当時はマレー半島で活発だった共産ゲリラへの対策として共同での国境管理を念頭に置いていたらしい。1965年はベトナム戦争の最中。米国が東南アジアに積極介入を進めていた時期でもあり、泰馬合意に米国の力が働いたことは想像に難くない。

 50年経ち、国境管理は共産ゲリラではなく密貿易とイスラム過激派対策に役割は変わった。密貿易品をざっと挙げると、砂糖、料理用油、イノシシ肉、麻薬類(以上、主にマレーシア→タイ)、米、花火、タバコ・酒などの偽造品、麻薬類、野菜(以上、主にタイ→マレーシア)など。とにかく切りがない。

 とはいえ、委員会開催は今回が54回目。合意を受けた1970年代には、コンクリートと有刺鉄線による国境壁がある程度は建設されてきた。だが、その後50回余りもの会議を重ねても、壁は遅々として完備には至らなかった。つまり管理が進んでこなかったのである。2013年に「141キロに渡り電子柵を導入する」、2015年に「国境全域で壁を作る」、2016年には「やっぱり141キロ分から」などなど、両国の予算配分もあって建設方針さえ安定しない。タイと国境を接するマレーシアの北西端にペルリス州という人口25万人、マレーシア最小面積の州がある。ここは国境となる部分の総延長が106キロあるが、このうち柵があるのは52キロ。半分以上は手付かずの丘陵地帯だ。最後に柵の増設があったのは2004年、5.3キロ分だという。

一事が万事?

シンガポールとマレーシアを海上経由で行き来する際の旅券審査艇。こちら側の船が連絡すると港の停泊地から飛んでくる。出入りが多いと連絡から1時間以上待たされることも=2017年10月20日、筆者撮影
 タイ・マレーシア国境を例に挙げたが、東南アジアの国境は一事が万事、この状況である。周囲を海に囲まれた小国シンガポールでさえ、十分とは言い難い。冒頭に上げたKLのカンファレンスでは、「シンガポールは歴史的にも中継貿易で生きてきたから、国連薬物犯罪事務所の(犯罪抑止)イニシアチブに消極的だ」と名指しで批判する声があった。海峡沖に停泊する船同士の積荷詐欺は横行、国が密輸ハブとして利用されているとの声は根強い。インドネシアが手を焼いている錫の密輸出は、かなりの割合で荷主がシンガポール人とされ、インドネシア海軍が密輸船をしょっちゅう追いかけている。カンボジアから違法採掘された川砂は、シンガポールの埋め立てにこっそり利用されているとの指摘もある。また、大量破壊兵器(WMD)の密輸で、シンガポールが商流・物量両面で中継地になっている事例も、過去多く確認されてきた。シンガポールの港を出て、海上で国境を越える際の旅券審査など、拍子抜けするほど緩い。

 シンガポールの国境管理は実は極めて優秀で、特に空港のそれは日本の比ではないとは、専門家から良く聞く。そのシンガポールでさえこうした課題を有している。他の域内各国の状況は「推して知るべし」となる。

シンガポールのウェットマーケット(路上市場)に並ぶ玉ねぎ=2016年9月2日、筆者撮影
 生活実態から密輸を体感できるのは、インドネシアで見られる玉ねぎのケースだ。イスラム教断食月(ラマダン)の毎年6月に向けて、3月ごろから値が上がり、ラマダンに入ると一気に相場が冷える。国内産業保護を理由に政府が輸入制限を課しているためだが、結局密輸で稼ぐ業者がのさばる結果になっているという。ジャカルタなどの大消費地に向かうのに、送付元にかかわらず一旦マレー半島西岸に集積された玉ねぎは、お隣のスマトラ島北部のアチェなどに降ろされ、ここから陸路でインドネシア都市部に流通させるケースが多いようだ。今年も、タイから密輸されアチェで発覚した赤玉ねぎやココナツ、ボルネオ島内をマレーシア領からインドネシア領に移送される赤玉ねぎの摘発事案など、多くが報道された。他にも、フィリピンからインドネシアに入るルートを示唆する情報もある。セレベス、スールー海は海洋民族国家の主な活動範囲で、国境管理はほとんどザルらしい。

 もちろん、このルートに乗るのは野菜ばかりではない。同じ南下ルートで違法薬物もインドネシアに入ってくるし、ウイグルからのテロリストもこのルート経由で離島の軍事キャンプ地へ向かう。逆に北上ルートでは若いインドネシア女性が売春婦としてマレーシアから北へ送られていく。

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