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小林喜光が読むハラリの「ホモ・デウス」

超エリート以外は負け組になる残酷な格差社会を我々はどう生き抜くのか

諏訪和仁 朝日新聞記者

小林 喜光(こばやし・よしみつ)
株式会社三菱ケミカルホールディングス 取締役会長、公益社団法人経済同友会 代表幹事
1946年生まれ。1971年東京大学大学院理学系研究科相関理化学修士課程修了後、ヘブライ大学物理化学科、ピサ大学化学科留学を経て、1974年三菱化成工業入社。2007年三菱ケミカルホールディングス社長兼三菱化学社長。2015年より現職。株式会社地球快適化インスティテュート取締役会長。未来投資会議構造改革徹底推進会合会長。総合科学技術・イノベーション会議議員。日本銀行参与。理学博士。
趣味はメダカやカエルなどの観察。

「民主主義」は「独裁」に負けてしまう

 ここ2、3年で一番まじめに読んだのは、イスラエルの42歳の歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリが書いた3冊だ。

 知人が「(前米大統領の)オバマ氏が薦めている本だ」と言ってくれたのが、日本語訳の「サピエンス全史」。すぐに気に入った。「ホモ・デウス」は英語版で読み、この秋に英語版が出た「21Lessons for the 21st Century(21世紀の21のレッスン)」にも、「これはすげえ」といたく感激した。

 ハラリは欧米では大人気だ。2018年1月にスイスのダボスで開かれた「世界経済フォーラム」に行ったら、ハラリが講演したり、何度もパネルディスカッションに出たりしていて、政財界のファンが大勢いた。ユーチューブには講演やインタビューの動画がたくさん上がっている。

「サピエンス全史」を著したユヴァル・ノア・ハラリ氏=2016年9月26日、東京都渋谷区

 ハラリが言っているのは、デモクラシー(民主主義)は、デジタル・ディクテータシップ(独裁)に負けてしまう、キャピタリズムはいずれデータイズム(データ中心主義)になるということだ。

 国・地域ごとのデータの扱い方をみてみると、アメリカは、サイバーセキュリティーは安全保障の一環で厳しく監視しているが、GAFAのような巨大ネット企業には自由にやらせてきた。中国はサイバーセキュリティー法で国内で集めた個人情報や取引情報などのビッグデータは国外に持ち出せず、囲い込んでいる。BATJ(バイドゥ、アリババ集団、テンセント、JD.com)といったIT大手が巨大化しているが、国家が管理している。

 EU(欧州連合)はGDPR(一般データ保護規則)で、個人情報を基本的な人権の延長線上で考え、その保護や消す権利などを設けた。日本はEUに近いと言えるだろう。

 今の最大の関心事は、データフロー。ビッグデータをだれがどう扱うかだ。

超エリート以外は負け組になる残酷な格差社会

 ハラリの見通しはこうだ。2045年にコンピューターのAI(人工知能)が人間の知性を追い抜く。あらゆるところにロボットが使われ、人間の働く場が狭まっていく。その理由は、コンピューターが「賢く」なるからだ。今のシリコン系の半導体を使ったコンピューターではなく、処理速度が格段に上がると言われる量子コンピューターなどが使われるようになれば、AIは機械学習や深層学習で加速度的に賢くなっていく。やがて人間が考えること、思うことが、すべてAIのアルゴリズム、計算式のようなものだが、これですべて処理できるようになる、というのだ。

 すでにアルゴリズムが人間の知能を凌駕した分野が囲碁だ。グーグルの子会社が開発したAI「アルファ碁」は天才棋士に勝った。今後は人間の持つ「愛」や「感情」のような意識もAIが持てるようになるだろうと言われている。AIが人間と同じようになると、人間のやっていることどころか、人間そのものが何なのか、という哲学的な問題になっていく。

 データイズムでは結局、AIで活用するビッグデータを持つGAFAやBATJのような巨大IT企業を動かす一握りの超エリートが世界中の富を得てしまう。インテリたちはデータイズム、すなわちビッグデータを持った者が勝つと分かり始めている。日本には、データを集められる社会インフラを持つプラットフォーマーがいない。アメリカや中国に完全に負けている。

 とくに中国は政治の決定スピードが速く、すべてデータを吸い上げられる。データは、いろんなデータが分散しているより、1カ所に集めて使った方が圧倒的に効率がいい。データは独裁と親和性が高いのだ。一方、アメリカやヨーロッパ、日本など民主主義の国は何か決めようとしたら時間がかかってしまう。

 データイズムでは、極めて残酷な格差社会になるだろう。超エリート以外の大勢は負け組になるからだ。

 ハラリはこの負け組を「ユースレス・クラス」と呼ぶ。「意味のない階級」「無駄な階級」という意味だ。この人たちが生活できるように、カナダやフィンランドで実験しているようなベーシックインカム(BI)が必要だと言っている。AIの時代こそBIなのだ。放っておくと、こんな暗い世の中になってしまうかも知れないから、今何をすべきかと問いかけている。デジタル時代に人間はどう生きていけばいいのかということだ。

 かつて、マルクスが「共産党宣言」に「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪が」と書き、労働者階級と資本家階級の対立を描いた。今はそんなのんきなものではない。データイズムという妖怪が世界を徘徊している。我々は大変な革命期に生きているのだ。

 データイズムで、GAFAのようなデジタルデータのプラットフォーマーが、一握りの超エリートとユースレスクラスに分けてしまうかも知れない。そうならないように19年1月のダボス会議では、社会経済システムを変えていかなければならないという問題意識で議論になると思う。

AIとバイオの時代は、哲学の時代だ

 コンピューターはシリコン系の半導体でできている。元素の周期表を見ると、炭素(C)の真下にシリコン(Si)がある。

 人間はシリコンを見つけ、コンピューターを作った。それがAIで自分たち人間を凌駕するかも知れない。バイオサイエンスでも、中国・深圳の研究者がゲノム編集でHIV(エイズウイルス)にかかりにくい双子を誕生させた。人間からHIVだけでなく悪いところ、弱いところを除く技術は人間をとんでもない方向に行かせる。人間はAIとバイオで自らを徹底して変えられてしまう時代がきた。

 今までは「人知の及ばない」という言葉のように、人間には恐れるものがあった。しかし、ついに人間は恐れるものがなくなってしまうのだ。

 こうなると、人間とは何なのか。AIとバイオの時代は、哲学の時代なのだ。

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