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赤字続出の官製ファンド、真犯人は財務省だ

理財局長として産業革新機構設立を強く後押ししたのは、後に大物次官となる勝氏だった

大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

記者会見で辞任を表明したJICの田中正明社長=2018年12月10日、東京都千代田区

ほとんど赤字の官製ファンド

 高額報酬問題に端を発して産業革新投資機構(JIC)の民間出身取締役9人が総退陣し、所管する経済産業省の前代未聞の失態があらわになった。農林水産省が設立した農林漁業成長産業化支援機構(A-FIVE)は投資を回収できない事例が頻発し、A-FIVE自体がいきづまっている。

 会計検査院は昨年春、16ある官製ファンドのうち2012年度以降に投資業務を開始した12法人は、ほとんどが赤字だとする報告書をまとめている。このままでは、税金を原資とした国民の財産が毀損しかねない。

 アベノミクスの成長戦略に“悪ノリ”して乱造した各省の責任は重大だが、忘れてはいけないのは、無謀な官営投資事業を易々と許した財務省の責任である。

産業再生機構の成功体験に味をしめた経産省

 官製ファンドの源流は、不良債権処理を目的にした小泉改革に沿って2003年に設立された産業再生機構にある。

 5年間という時限を区切って設立され、銀行の不良債権である不振企業~ダイエーやカネボウ、大京、ミサワホームなどを解体したり、大がかりなリストラを施したりして他の民間企業に転売し、期限を待たずに4年で任務を終えて解散した。

 設立時は巨額の損失が発生するかもしれないと危ぶまれたが、実際は納税と解散時の残余財産の配当によって国に700億円強もの資金を返しており、巨額損失発生の危惧は杞憂に終わった。

 この再生機構の成功体験に味をしめたのが経産省だった。

 再生機構設立準備室に出向経験があり、再生機構の制度設計にかかわった経産省の西山圭太産業構造課長が2008年夏ごろに温めていたのが「イノベーション創造機構」を設立するという構想だった。大企業に眠っている新産業の種に資金を提供して伸ばしていこうという、いわば官製ベンチャーキャピタルの発想である。

 ところが、これが2008年9月のリーマン・ショック以降、一変する。

いつしか巨大な「経産省の財布」に

 経産省は2008年11月ごろからリーマン・ショックの国内経済への影響が甚大と認識し、望月晴文事務次官や石黒憲彦経済産業政策局担当審議官が各課の尻を叩いて緊急経済対策をまとめ、その過程で2000億円規模が見込まれた官製ベンチャーキャピタルの「イノベーション創造機構」は、9000億円規模の巨大官製ファンド構想に変質していった。

経産省の事務次官当時の望月晴文氏=2008年8月19日

 当時、西山氏は「特定企業や産業を保護しようというものではない」と言いつつも、自らの腹案が大きく変貌していくことに驚き、「大型案件に対応することもあるかもしれない」と言及していた。

 そうした変質に対し、経産省の他の課長らからは「西山は前向きな、これから伸びていきそうなところを対象にしようとしていたのに、産業保護主義的なモノに切り替わってしまった」「どういう再編が正しいのか官の側で描くことはできないのに、投資先決定に関する官の裁量権が大きくなりかねない」といった批判の声があがっていた。

 結局、2009年に発足した産業革新機構(現INCJ。後身の産業革新投資機構の傘下にある)は、そんな誕生時の経緯が手伝って、ベンチャー投資と、産業保護主義的な大企業救済のための出資という二つの側面をあわせ持つようになった。

 後者の事例が、東芝、日立製作所、ソニーの中小型液晶部門を統合したジャパンディスプレイの設立であり、国産半導体企業救済のためのルネサスエレクトロニクスや東芝メモリへの出資である。台湾の鴻海精密工業に競り負けたがシャープの買収に意欲を燃やしたり、東芝と一緒になって仏アレバの送配電機器部門の買収を画策したりしたこともある。

 経産省のこうした産業政策に都合良く使われてきたことで、産業革新機構は「経産省の財布」と陰口をたたかれるようになった。

各省の官製ファンド乱立

 プールしておいた資金を自分たちの政策に沿った民間事業者に投じることができるという産業革新機構の仕組みは、他省庁にとっては垂涎の的だった。

 農水省が産業革新機構を真似て2013年にA―FIVEを設立したのを皮切りに、国土交通省(旧建設省系)が環境不動産普及促進機構、内閣府が民間資金等活用事業推進機構、経産省がクール・ジャパン機構、国交省(旧運輸省系)が海外交通・都市開発事業支援機構、総務省が海外通信・放送・郵便事業支援機構などと各省が一つずつ官製ファンドを設立していった。

 ちょうど成長戦略にこれといった政策がなかった安倍政権も、各省の「新ビジネスを育成したい」「日本企業の海外進出を手助けしたい」という売り込みを受け入れ、続々、設立されるようになり、いまやその数が16にもなった。

 問題は、資金の元締めである財務省だった。

積極的に設立を促した財務省

 各省が成算の乏しい官製ファンドをつくりたがるのを、財務省が抑制したという話は聞かない。むしろ積極的に設立を促してきた節がうかがえる。

 その背景事情にあるのが、財務省理財局の運用する財政投融資「産業投資資金」(産投資金)の運用先不足という問題である。産投資金とは聞き慣れないが、政府保有のNTT株やJTの株の配当収入や国際協力銀行(JBIC)の国庫納付金などを原資とし、それを財務省理財局がリターンを求めて投資するという仕組みだ。

 ただし、投資先は「政府の監督権限が及ぶ特別法で設置された法人」に限られ、「政策的必要性はあるのに民間の資金供給が不足しているものについて、民間に代わって公的財源を元手にして長期的なリターンを求めて投資する」という建前で行われる。

 しかし、こんな虫のいい投資先がそうそうあるはずがない。

 事実、産投資金の有力な振り向け先だった基盤技術研究促進センターは、バイオテクノロジーや新素材、ITなどの先端技術開発にかかわる民間企業や大学に研究開発資金を提供する名目で1985年度に設立されたが、「知的財産権の陳腐化するスピードが速く、実用化・商品化に成功して特許収入を得ることができなかった」(財務省)として、投じた2684億円を損失処理せざるをえなくなり、同センターは2003年に解散した。

 投じた資金に対して回収に成功した特許収入はわずかに30億円に過ぎず、大失敗に終わっている。この大失敗後、理財局は新たな投資先を探してきたものの、なかなか見つからず、ほぼ毎年のようにその年の歳入に見合う歳出がない状態が続いていた。資金が余っている状態が恒常化し、毎年度のように余剰分を一般会計に繰り入れてきたのである。

 当然、「もはや産投資金はいらないのではないか」「理財局から取り上げて、全額を一般会計に繰り入れるべきだ」とする意見が財務省内からわき起こるのも不思議ではなかった。

理財局の「救世主」となった官製ファンド

 そんなときに理財局にとって救世主のようにあらわれたのが、上記の官製ファンドだった。

 「(理財局という)ポストがある以上、運用先を見つけてこなければならなかった」と元理財局次長は言う。重ねて、こうも言った。「一般会計に組み入れるとすると、100兆円の中の、たかだか二千数百億円(毎年度の産投資金の規模)でしょう。何に使われたかわからないし、あっという間に消えてしまう。理財局としては、それがイヤなんだよ」

 経産省が産業革新機構の設立を検討していた2008年、財務省理財局は「財政投融資に関する基本問題検討会 産業投資ワーキングチーム」のまとめた「今後の産業投資の在り方について」という報告を受けた。同報告は、今後の資金の振り向け先として、研究開発や事業再編などに資金を提供するファンドとレアメタルなど天然資源開発、JBICによるアジア向け支援に充てる方針を提言した。

 当時の理財局長は、後に大物次官とされる勝栄二郎氏だった。

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