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日本という不思議な国

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

 日本に長く住んでいると、日本が国際的に見てかなり特殊な国だということをあまり意識することがない。しかし、外国に長く住んだり、外国の歴史を学んだりすると、日本の他にない特色が浮かび上がってくる。

新年の一般参賀に訪れた人たちに手を振る天皇、皇后両陛下、皇族方=2019年1月2日、皇居

 まず、天皇制。大日本帝国憲法(1889〈明治22〉年2月11日公布、1890〈明治23〉年11月29日施行)第1条は「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」だが、4~5世紀前後に成立したとされる天皇制が現在に至るまで続いているのは他国に例のないことだ。現在の天皇制を構築したのは弘法大師・空海だといわれている。当時、日本に中国文明とともに入ってきた仏教を日本の伝統的宗教である神道と融合し、「神仏習合」のシステムをつくり、そこに天皇制を乗せたのだった。天皇家の儀式は仏教と神道が交互に行われ、宗教の対立による争いを避けたのだ。欧州での中世から近世の戦争は宗教戦争が多かったのだが、日本では15世紀末から16世紀末の一向一揆以外は大きな宗教戦争は起こっていない。

 天皇はある時期から権力は失ったが、権威として君臨し続けたのだった。権力は関白や将軍達が握っていたが、天皇は権威として権力の上に存在し続けたのだ。この権威と権力の分離は欧米には無いものだった。王朝がつくられ、亡び、王朝は変わっていったが、王朝の上に立つ権威は存在していなかったのだ。

 日本の権力者達もまた、ユニークだった。鎌倉時代から江戸末期にかけての日本の権力者は武士だったが、彼等は他の国のエリート達のように土地を所有していなかった。中根千枝はこうした武士達を「制度的エリート」と呼んでいる(大石慎三郎・中根千枝『江戸時代と近代化』筑摩書房、1986年)。日本以外の国はヨーロッパでも中国でもインドでも、支配者たちは必ず土地を所有し権力と富をあわせ持っていた。エリート層は広大な土地を持ち、その経済力を基盤として権力を握り、行使したのだった。しかし、日本の支配者であった武士達は、土地を所有せず、必ずしも経済的基盤を持たないまま権力を握ったのだ。これは世界でも類を見ないユニークなものだった。それ故、中根千枝は彼等を「制度的エリート」と呼んだのだが、経済的実力をともなわない、政治的につくられたエリートというわけだ。反対に富を持っていたのは豪農や豪商達だったが、彼等は政治的権力は持っておらず、エリートと呼べる階層ではなかった。

豊かな江戸時代の庶民

 そして、江戸時代の日本はかなり平等な世界だったのだ。アメリカのジャパノロジスト、スーザン・ハンレーは「……1850年の時点で住む場所を選ばなくてはならないなら、私が裕福であるならイギリスに、労働者階級であれば日本に住みたいと思う」(スーザン・ハンレー著・指昭博訳『江戸時代の遺産-庶民の生活文化』中央公論社、1990年)と述べているが、日本の庶民の生活レベル、また庶民文化の豊かさはイギリスにも勝るものだったのだ。

江戸の町並みは17世紀前半にほぼできあがったという=東京・両国の江戸東京博物館

 江戸時代、日本の庶民の暮らし向きは、比較的高い農業の生産性に支えられ、生存ギリギリよりかなり上にあったと推測されている。居住環境も一般的に豊かで多くの人々はそこそこの家に居住していた。スーザン・ハンレーは開放的な日本の住居を「禁欲的ぜいたくさ」と表現しているが、

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