メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

米朝決裂で優先度が高まった日米通商交渉

コーエン証言で米朝合意を土壇場で回避。トランプの挽回策はこれしかない

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

ハノイでの米朝会談を終え、ホワイトハウスに到着するトランプ米大統領=2019年2月28日

米朝首脳会談はコーエン証言でかすんだ

 北朝鮮の非核化を巡る米朝首脳会談は決裂した。

 トランプ大統領の説明によると、北朝鮮が一部(寧辺)核施設の廃棄の見返りに制裁の全面解除を求めたからだという。しかし、北朝鮮が全面的な核廃絶に応じることはありえないことは、大方の認識だったし、現に事務方の協議は難航していた。

 国内での人気回復を焦るトランプ大統領は、ディールできるトップ同士ならなんとか打開・妥協できると楽観的に考え、一定の成果を得ようとして米朝首脳会談をセットした。しかし、金正恩委員長はディールに応じる用意がなかったと言いたいのだろう。

 金委員長からすれば、米国民に対してアピールできれば、国内政治の状況からトランプ大統領は中身の乏しいディールにも応じるはずだという認識から、上記の提案を行ったのだろう。これは、トランプ大統領が会談前に非核化は急いでいないというハードルを下げるような発言を行っていたことからすれば、間違った認識ではなかったと思われる。

 会談前は、双方とも大きなディールは考えていなかったはずである。

 おそらく、両者の思惑を裏切る原因となったのは、トランプ大統領の元顧問弁護士マイケル・コーエンが米朝首脳会談の初日に当たる2月27日の米下院の公聴会で行った証言だろう。

 コーエンは、脱税や選挙資金法違反の罪で連邦捜査局(FBI)と、ロシア疑惑に関する米議会への偽証についてモラー特別検察官と、それぞれ司法取引に応じてきた。そのコーエンを、これまでトランプは、罪を軽くしてもらうために、ウソをついているとツィッターで非難してきた。

 トランプからすれば、コーエンも彼のために働くことで利益を得てきたのであり、いわばコーエンは裏切り者である。その裏切り者が、下院の公聴会でトランプを人種差別主義者(a racist)、詐欺師(a con man)、ペテン師(a cheat)などと激しく非難するとは思ってもいなかっただろう。

 今回のコーエンの証言内容自体は既に指摘されていることばかりで、法的には特に新しい事実はなかった。しかし、報道を詳細にフォローしている訳ではない米国民からすれば大統領にあるまじき行為や事実の開陳と受け止められたし、トランプのために個人や団体を500回ほど脅迫したなどというやりとりは大きな注目を集めた。

 アメリカ公共放送PBSの30分のニュース番組はほとんどをコーエンの証言に充て、初日の米朝首脳会談には1~2分程度触れただけだった。米朝首脳会談がかすんでしまったのである。

米朝決裂はダメージコントロールとしては優れていた

 ある意味で絶妙のタイミングだった。ハノイとワシントンでは昼夜逆転している。初日の夕食をしながらの会談の後、コーエンの証言が行われた。初日の会談と二日目の会談の真ん中にコーエンの証言がスポッと入り込んだのである。

 この証言が行われる前の夕食会では、トランプは「とても明日は忙しい日になる。明日の会談によって、とてもすばらしい状況になり、二国の関係はとても特別なものになるだろう」「シンガポールの会談は成功だったが、今回はそれと同じかそれを上回るほどの素晴らしい成果を挙げることができるだろう」と、米朝首脳会談について極めて楽観的な発言をしていた。

 また、金正恩も「どの時よりも多くの苦しみと努力、忍耐を必要とした。すべての人が喜ぶすばらしい結果を作り出せると確信している。最善を尽くす」「非核化しなければこの場にはいない」などと応じていた。

 しかし、夕食会後のコーエンの証言がゲームチェンジャーになってしまった。これとその反響を見たトランプとしては、この証言によるダメージを相殺できるほどの成果を、北朝鮮の非核化について挙げなければならなくなった。

 当初考えていた中途半端な成果では逆に大きな批判を浴びてしまう。このため、交渉二日目の28日に、決裂も覚悟で交渉のハードルを一気に上げたのだろう。

 これは金正恩にしては想定外だった。彼が首脳会談に向けて練りに練ったシナリオが崩れてしまったのである。

 米朝首脳会談とコーエンの証言は関係ないとする外交問題の専門家もいるが、そうであれば初日と二日目の対応がなぜ大きく違ってしまったのかを説明できない。

 我々は、北朝鮮の非核化、ロシア疑惑、米中貿易戦争、メキシコ国境での壁建設などは、それぞれ別の問題だと認識しているかもしれない。それぞれの問題の専門家であれば、特にそうである。

 しかし、トランプにとっては全て自らの政権の評価、最終的には来年の大統領選挙で勝利できるかどうかに繋がる問題である。彼にとっては、全てが関連しているのである。

 大統領であり続ければ、連邦議会からの弾劾の可能性はあるものの、司法省から刑事的な訴追は受けない。大統領でなくなれば、元ポルノ女優に口止め料を払ったことを選挙資金法違反で訴追されることになる。コーエンはこれ以外でも何件かの刑事事案を検察は検討していると証言している。

米議会下院の公聴会で証言するトランプ大統領の元顧問弁護士、マイケル・コーエン被告=20192月27日、ワシントン

 トランプにとって再選は死活問題なのである。

 メキシコとの壁の建設を巡り、連邦政府の一部閉鎖という手段に出たが、国民の反発を招き、壁の建設予算は議会に認められなかった。このため大統領権限で国家非常事態宣言を行って、予算を流用して壁を作ろうとしていることに対し、16の州に裁判所に訴えられている。壁が作れなければ、選挙公約を実現できなかったとして、支持層の離反を招きかねない。

 この困った状態からリカバリーショットを打とうとして米朝首脳会談をセットしたが、コーエンの証言によって想定外の結果になってしまった。今回安易な合意をしていれば、北朝鮮の非核化問題に詳しい識者や議員から、大きな批判が出ていただろう。

 交渉を中止して、北朝鮮の要求に応じなかったことは、ダメージコントロールとしては優れていた。野党民主党のペロシ下院議長も安易な妥協をしなかったことを評価している。

次のリカバリーショットは通商交渉

 次にトランプが考えるリカバリーショットは通商交渉となる。

・・・ログインして読む
(残り:約2365文字/本文:約4972文字)