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老後2000万円不足問題、小泉進次郎の本気度

参院選前に幕引きを急ぐ政府・与党内でひとり抜本改革を唱えるが……

深沢道広 経済・金融ジャーナリスト

講演する小泉進次郎・自民党厚生労働部会長=2019年2月11日、石川県小松市

 「老後2000万円不足」報告書に対して世論の批判が殺到している問題について、政府・与党は「金融審議会が承認していないから正式な報告書としては認めない。議論の途中経過」として逃げ切ろうとしている。7月の国政選挙を控え、かなり強引な「上から目線」で幕引きを図る構えだ。そのなかで自民党の小泉進次郎厚生労働部会長は6月13日の厚生労働部会の後、「社会保障改革は待ったなしだ。議論するチャンスに変えたい」と言ってのけた。彼の言う「改革」とは何なのか。

「100年安心」なのは「老後」ではなく「制度」だった

 公的年金は言うまでもなく、大多数の人にとって、老後の生活を支える主要な収入源である。その制度改正の影響は計り知れない。

 しかし、年金受給が現になされている世代と、そうでない世代では関心度が明らかに異なる。40歳代になった筆者にとっても、年金受給は20~30年先の他人事である。

 今回の騒動は、2004年の公的年金改革で掲げられた「100年安心」について大きな誤解や不安があったことが出発点だ。国民の多くは「老後は年金で100年安心」と思っていた。しかし、実際は年金制度の存続が100年安心だったにすぎなかったのだ。

 筆者は自民党政権、旧民主党政権下で年金制度や年金運用の世界で仕事をしてきた。関係者の間ではこのような理解は当然の大前提だった。しかし、国民の大部分はそうは思っていなかった。そうなったのは、政府・与党のみならず、野党(旧民主党など)も国民にきちんと説明してこなかったからだ。

 安倍政権は少子高齢化社会の進展に向け「人生100年時代構想」を掲げて、高齢社会に向けた様々な政策作りを進めてきたが、今回の金融庁の公表した報告書は「100年安心」の本当の意味を国民に気づかせてくれた。

「マクロ経済スライド」でごまかし

 100年安心の制度設計を担った厚生労働省は公的年金がそれまでと大きく変わったことを「マクロ経済スライド」という専門用語で煙に巻いた。

 厚労省は公的年金制度の持続可能性を担保するため、保険料水準を固定し、その範囲内でマクロ経済スライドという仕組みにより給付水準を調整することで、おおむね100年間の負担と給付を均衡させた。

 国が負担する国庫負担額を引き上げ、積立金を活用することで公的年金財政の収入を決める一方、現役世代の人数の変化や平均余命伸びに伴う給付費の増加といったマクロでみた給付と負担の変動に応じて給付水準を自動的に調整する仕組みを導入したのだ。

 無論、厚労省はマクロ経済スライドについて全く説明してこなかったわけではない。しかし、マクロ経済スライドもデフレ下の日本経済でほとんど適用されず、給付が実際減額される場面がなかったこともあり、皆気づくのが遅れたのだ。

 厚労省幹部は報告書の公表後も「公的年金が老後の生活の基礎であり、意義や役割は変わらない」とさらりという。公明党議員が「2004年の年金改革で100年安心になったんだといってくれ」と言質を求めると、厚労省幹部は「5年ごとの財政検証でおおむね100年の給付と負担は均衡する。運用は短期的にはぶれることがあるが、4年分程度の積立金があり必要な利回りは確保している」と説明。「財政検証でおおむね100年の給付と負担の計算結果を確認している」と全くかみ合わなかった。

 「100年安心」などとは2004年改革時でも今でも誰も保障できないのだ。

衆院財務金融委で答弁する金融庁の三井秀範・企画市場局長。左は麻生太郎財務相兼金融担当相=2019年6月14日

ぶれる麻生金融相

 今回の騒動の火元は麻生太郎金融相であることに異論はない。

 報告書が公表された翌日の閣議後記者会見で麻生氏は報告書について問われ、「俺の生まれたときの平均余命を知っているか?」と切り返した。尋ねた記者は「60歳ですか?」と回答した。

 これに対し、麻生氏は「47だ。人生設計をするとき100まで生きる前提で退職金を計算してみたことあるか。俺はないと思うね」などと述べ、今のうちから人生設計を考えておかないといけない」と基本的な考えを示した。金融庁事務方からの事前レクチャーを受け麻生氏なりの自分の言葉で表現したのだ。この時麻生氏は報告書の内容について特段問題視をしていない様子だった。

 しかし、これが大手新聞などで「老後2000万円赤字」などと批判的内容が報道され、インターネットで拡散していった。まさに炎上が始まったのだ。麻生氏はこれをまず自ら火消しにいったが、これがさらに火に油を注ぐ結果になった。

 麻生氏は報告書について公的年金だけではあたかも生活ができず、平均的な収支が2000万円の赤字となることについて「表現が不適切だった」と陳謝した。政府・与党として「公文書」とは認めるが、「政府としてのスタンスが異なる」などとして「金融審議会が承認したわけではないから正式な報告書ではなく、作業部会の議論をまとめた途中経過」と結論付けた。

 金融審などの審議会は大臣が有識者ら専門家に議論を諮問し、大臣はその結果を答申してもらう関係にある。関係者の意見を踏まえ、大臣の政策決定の参考とすべく、古くから使われた手法だが、これを自分からしておいて都合が悪くなったので、それを黙殺するというのだ。

 麻生氏は正式な報告書ではないとの意味について「政府として政策遂行の参考とならない」と述べ、金融審会長が報告書の扱いをどう検討するかの問題と切り捨てた。ここまでメンツをつぶされた金融審メンバーは全員一斉辞任したらどうか。

結局、役人が腹切りか

 金融庁の三井秀範・企画市場局長は6月14日の衆院財務金融委員会の冒頭で「事務局として配慮を欠いていた。改善したい。反省とお詫び申し上げる」と一方的に陳謝した。森友学園問題で国会答弁した、佐川宣寿・国税庁長官(当時)の時と同じである。

 当時、佐川氏が財務省や麻生氏をかばって引責辞任したのと同様に、金融庁の組織防衛のため決死の覚悟しているようである。事務局として報告書を世に出した責任を自ら認め謝らないと事態は収束しないと忖度したのであろうか。この金融庁幹部は野党議員からの追及に、「事務方の粗相というか、私の落ち度であった」とまで全面的に非を認めたのだ。

 これに対して、麻生氏は報告書について「内容全部がダメだと言っているのではない。一部に問題があった」と記述を問題視。「(報告書を取りまとめた)金融庁事務方の配慮が足りなかった」と部下のせいにしているかの様子だった。

 麻生氏は自身の対応が変遷したことについて「公的年金制度について不安が広がり著しい誤解が生じている」と説明。異例の事態になったのを払しょくするため、報告書を受け取り拒否とすることに至ったとしている。

 筆者もずっと委員会の質疑を聞いていたが、野党の追及と議論はかみ合っていない。麻生氏のこれまでの一連の態度にある種の「上から目線」を感じるのは筆者だけだろうか。

進次郎が自民党を救うか?

 麻生氏の対応と対照的なのが、小泉進次郎厚生労働部会長だ。

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