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「身の丈」発言を機に「学生の貧困」に視線を

若者に広がる自己肯定感の低さと身の丈意識

木代泰之 経済・科学ジャーナリスト

 「自分の身の丈に合わせて頑張って」という萩生田光一・文部科学相の発言が、教育界に波紋を広げている。露呈したのは、「等しく教育する」という憲法や法律の理念に対する粗雑な扱いと、貧困格差に対する鈍感さだった。

貧困層を追い込む「自己責任論」の広がり

 「身の丈」という言葉は大学でも使われる。ある私立大学学長はこう嘆く。

 「うちの大学に限らず貧困層の学生の自己肯定感が低い。どうせ身の丈以上のことは期待されていないと思っている。どうすれば才能を伸ばしてやれるか、教員は困っている。その身の丈意識を入試前から高校生に刷り込んだのが今度の発言です」

 貧困層を「身の丈」に追い込むのが、近年広がりを見せる「自己責任論」である。「努力しなかった本人が悪い」という論理。当人も「貧乏な自分」という現実を前に、なかなか自己肯定感を持ち得ないのだ。

 日本の子供や学生の6人に1人(16%)は貧困家庭で育っている。一人親の世帯に限ると55%が貧困家庭だ。

 特に深刻なのは母子家庭である。母親の8割は働いているが、多くは低収入である。離婚した父親が養育費を払わないケースも多い。

教育の公的支出の比率はOECD35か国中の最下位

 その影響はとりわけ子供の教育分野で大きく現れる。

 日本の教育の公的支出がGDPに占める比率は2.9%で、OECD(経済協力開発機構)加盟35か国中の35位と最下位だ(上のグラフ)。その分、私的な支出の比率が高く、親が低収入の場合、塾や習い事、部活動、進学や受験にたちまち影響が出る。

 これが教育格差の源になる。子供は学校に居場所がなくなり、結果的に子供の可能性や選択肢を奪ってしまう。一番の問題は、親の貧困が子供世代にも連鎖して、抜け出せなくなることだ。

 2013年には「子どもの貧困対策法」が成立した。「子どもの将来が、生まれ育った環境によって左右されないようにする」という主旨で、教育・生活への支援や親の就労支援などを盛り込んでいる。

 しかし、改善にはまだ遠く、大学生が塾に通えない子供に勉強を教える無料学習塾や、ボランティアの人々が食事を提供する「子ども食堂」など、地域の活動が支えている。

 こうした現状を知れば、交通費や宿泊費、受験料などを複数回、余分に負担しなければならない英語民間試験が、地方や貧困層にとって重い負担になることは容易に想像がつく。

 親の苦労を知って出費を頼みづらい子供はどうすればよいのだろうか。

教育行政の基本方針に反する「身の丈」発言

 今回、野党や教育現場は、貧富の格差と地域格差を理由に、早くから英語民間試験の再検討を求めていたが、文科相はTV番組で、まるで反対論を蹴散らすかのように語った。おそらく一度決めたことを貫く強さを見せようと、頭がいっぱいだったのではないか。

 身の丈発言は、文科相に就任約1か月後の出来事とはいえ、戦後一貫してきた教育行政の基本方針にも反している。

 憲法は「すべての国民はその能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する」(第26条)、教育基本法も「すべて国民は、等しく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位、門地によって差別されない」(第4条)と定めている。

 すなわち憲法や法律は、個人の経済的地位に関わらず、等しく教育を受けられるよう最大限努める義務を政府に課している。2020年4月から実施される大学無償化(授業料減免と給付型奨学金の充実)も、その方針に沿ったものだ。

高等教育はイノベーションや経済成長に不可欠

 文科省が平等な教育を強調してきた背景には、産業のイノベーションや経済成長のためには、所得の高低を問わず、すべての階層に高等教育を施すことが必要だという別の考え方もある。

 下のグラフは、1875年(明治8年)から2017年までの高等教育機関(大学など)の学生数の推移を示している。

 明治維新のあと、学生は数千人ほどで推移していたが、日清・日露戦争によって産業が発達すると、専門教育を受けた人材が必要になり、学校・学生数は増加に転じた。

 更に第一次、第二次世界大戦を経る中で産業側の人材需要が高まり、学校・学生数は急速に増えた。日本の高等教育の歩みは、国力増強という目的のもと、よくも悪くも時々の戦争とともに発展した歴史だった。

旧い社会秩序を根底から覆したことが活力を生んだ

 戦前、大学で学ぶのは地主、経営者、公務員ら富裕層の子弟が主だったが、戦後は、それまで高等教育に縁がなかった家庭の子供たちが大挙して進学した。この人々が産業・経済社会に入って既成秩序を覆したことが、この国に新鮮な活力を生みだし、高度成長を実現する原動力になった。

 例えば、ホンダ創業者の本田宗一郎(1906年生まれ)は、静岡県の鍛冶屋に生まれた尋常高等小学校卒という学歴で、戦前にエンジンのピストンリングの生産を始めた。しかし、学問的な壁に突き当たり、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の聴講生になり、3年間金属工学をしっかり学んだ。これが事業発展の基礎を作った。

 戦後、宗一郎は「事業が大きく花開いたのは高等教育のおかげだ」として、研究者や学生らに匿名で奨学金を与え続けた。

非正規は自己責任ではなく、政府や経済界に責任がある制度

 戦後復興から高度成長期への体験が示すように、社会各層の人々が高等教育を受け、社会に多様性(ダイバーシティ)をもたらすことによって、経済社会はイノベーションが可能になる。

 逆に、貧富の格差が固定化した社会は沈滞に向かう。

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