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経済安全保障が弱すぎる日本(下)

技術力低下が著しい日本。強みと弱みを再評価し、攻めと守りの体制を再構築すべきだ

荒井寿光 知財評論家、元特許庁長官

経済制裁をめぐる世界の歴史を振り返った『経済安全保障が弱すぎる日本(上)』を踏まえ、今回は米中経済戦争の行方を見通すとともに、立ち遅れた日本の経済安全保障のあり方を提言したい。

第2部 米中経済戦争の行方

1 米国の経済安全保障戦略

(1)本格的な米国の対中経済制裁

 現在の米中紛争は、“経済戦争”と言われるように、経済安全保障措置による戦争として、近年ではまれに見る総合的で大規模なものだ。

 2017年3月からトランプ政権が講じている手段・措置は次のように多様だ。議会は「2019年国防権限法」を制定するなど、中国封じ込めを求めるチャイナ・ホークと呼ばれる対中強硬派が多い。

① 輸入制限(関税引上げ)
 2018年7月、8月、9月、2019年7月と大幅な関税引き上げ措置が相次いで導入され、中国からの輸入3700億ドルをカバーしている。2019年12月、米中で第1弾の合意がなされ、追加関税の導入は見送られた。
② 輸入禁止と政府調達制限
 ファーウェイ、ZTEなど米国から見て問題のある企業からの製品やサービスの輸入や政府調達は禁止された。
③ 輸出制限
 米国が作成する「エンティティリスト」に掲げれられた企業に対しては、米国のハイテク製品の輸出が事実上、禁止された。
④ 技術輸出制限
 「エンティティリスト」に掲げれられた企業向けのハイテク技術の輸出も事実上禁止された。
⑤ 投資制限
 中国企業の米国ハイテク企業への投資は、技術が中国に流出される恐れがあるため、CFIUS(対米外国投資委員会)の許可の対象となり、事実上難しくなった。
⑥ 人材交流制限
 研究者に対するVISAの発給が厳しくなり、中国人の留学が難しくなった。
⑦ サイバー防衛
 サイバー攻撃によるシステムダウンや技術流出を防ぐため、NIST(米国国立標準技術研究所)の規格を強化して、米国の官民のコンピュータシステムの防衛を強化している。また サイバースパイの逮捕に力を入れている。
⑧ 国際協調
 次世代通信技術5Gなどで、日本などにファーウェイ排除の協調を求めている。

 なお、これらの米国の措置に対し、中国は報復関税を課すなど、強く反発・反撃しており、「米中経済戦争」と言われる状況になっている。

(2)安全保障のための輸入規制

①通商拡大法第232条

 米国の通商拡大法第232条には、安全保障(national security)を理由に輸入制限を行うことができる規定が定められており、米国は頻繁に発動している。

 最近では2018年3月23日以降、米国に輸入される鉄鋼・アルミニウム製品に対して追加関税措置が行われた。

 なお、日本からの自動車輸入に対しても安全保障名目で大幅な関税引き上げをちらつかせた。

(注)米国通商拡大法第232条は次のように規定している。
 「商務省は、職権、他省庁の長からの要請、あるいは利害関係者からの申請により、特定の産品の輸入が米国の安全保障に影響を与えるか否かを調査し、措置発動の要否および適切な措置の内容を勧告できる。商務省は調査開始から270日以内に大統領に勧告を含む報告書を提出しなければならない。仮に商務省から輸入が米国安全保障を脅かす旨の報告があれば、大統領は報告書受領から90日以内にその結論に同意するか否か、そして同意する場合はいかなる措置を取るかを決定する」

②WTO(GATT)との比較

 WTO(世界貿易機関)のGATT(関税及び貿易に関する一般協定)でも、「安全保障」のための輸入制限は認められている。しかし、これは「軍事的な防衛」に関するものが中心になると一般に受け止められており、米国の安全保障概念は、他の国よりも広い。

(注)GATT21条の条文
第21条 安全保障のための例外
この協定のいかなる規定も、次のいずれかのことを定めるものと解してはならない。
(a)締約国に対し、発表すれば自国の安全保障上の重大な利益に反するとその締約国が認める情報の提供を要求すること。
(b)締約国が自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要であると認める次のいずれかの措置を執ることを妨げること。
(i)核分裂性物質又はその生産原料である物質に関する措置(ii)武器、弾薬及び軍需品の取引並びに軍事施設に供給するため直接又は間接に行なわれるその他の貨物及び原料の取引に関する措置(iii)戦時その他の国際関係の緊急時に執る措置
(c)締約国が国際の平和及び安全の維持のため国際連合憲章に基く義務に従う措置を執ることを妨げること。

2 中国の経済安全保障戦略

(1)中国の国家目標は中華民族の栄光の復活

 中国は、古い大国であるが、1840年のアヘン戦争に負けてから外国に支配されたのは「屈辱の100年」であり、1949年の中国建国から100年目の2049年には世界一の強国になり、中華民族の栄光を復活することが国家目標である。

 このため、「軍民融合」戦略で軍事力と経済力・技術力の同時強化を進めている。

(2)改革開放とWTO加盟

 1989年の鄧小平国家主席の改革開放路線により、日米欧から技術と資本を挿入し、経済成長路線を確立した。

 2001年にはWTO(世界貿易機関)加盟を果たし、外国への輸出拡大が可能となり、国内産業が育成され、今やGDP(国内総生産)では、米国に次いで世界第2位の経済大国になった。(2018年のGDP、第1位米国20.6兆ドル、第2位中国13.4兆度ドル、第3位日本5.0兆ドル、IMF統計)

(3)一帯一路構想

 この経済力を背景に、国際的には「一帯一路」により中国の影響力を増していく経済安全保障戦略を進めている。

 一帯一路構想は、2014年習近平総書記が北京市で開催されたアジア太平洋経済協力首脳会議で提唱した広域経済圏構想で、中国からユーラシア大陸を経由してヨーロッパにつながる陸路の「シルクロード経済ベルト」(一帯)と、中国沿岸部から東南アジア、南アジア、アラビア半島、アフリカ東岸を結ぶ海路の「21世紀海上シルクロード」(一路)の二つの地域で、インフラストラクチャー整備、貿易促進、資金の往来を促進する計画である。

 インフラ投資計画は、建国100周年に当たる2049年までの完成を掲げている。アジアインフラ投資銀行(AIIB)や中国・ユーラシア経済協力基金、シルクロード基金などでインフラ投資を拡大させ、また発展途上国への経済援助を通じ、人民元の国際準備通貨化による中国を中心とした世界経済圏の確立を目指すとされる。

 2019年に開催された「一帯一路サミットフォーラム」には、150ヵ国を超える代表団が出席した。なお、米国は一帯一路構想を批判しており、参加していない。

(4)総合的な中国の経済安全保障戦略

① 国家資本主義

 中国の発展のために、「中国製造2025」に代表される産業育成策は当然の権利としていて、米国からの変更要求にも激しく抵抗している。

② 一帯一路構想

 対外的には、一帯一路構想により、米国に対抗する経済圏を作り上げることが長期目標である。そのため対外援助を弾力的に使っている。

③ 自在に発動

 中国は、日本の尖閣問題や靖国神社の問題、韓国の米軍THAADミサイル配備などに関連し、不買運動、観光客の渡航制限、レアアースの輸出制限などの経済安全保障手段を自在に使っている。

④ デジタル時代に対応

 デジタル時代の経済安全保障の手段を多角化している。

 データは資源であると考え、中国国内のデータの持ち出しを制限するとともに、世界各地で5G基地局の建設、米国のGPS(全地球測位システム)に対抗する北斗衛星測位システムの利用促進を進めているが、これもデジタル時代の経済安全保障の手段である。

 また、2020年から「暗号法」を施行するが、これはデジタル人民元を米国のドル支配に対抗するため普及させる手段であるとの見方もある。

Photomontage/Shutterstock.com

3 米中の覇権争いの行方

 今後の見込みとして次のシナリオがある

 第1は、楽観シナリオ(経済戦争はお互いにマイナスが多いので、米中ともに無駄な経済戦争はやめて、合理的な解決をする。米中は制裁措置のない平和な経済関係に戻る)。

 第2は、悲観シナリオ(米国はあくまで中国の接近を許さないとの考えであり、中国は2049年までに米国を抜いて世界一の強国になる方針だ。このため両国の競争と経済戦争は当分続く)。

 第2の悲観シナリオも50%の確率があるので、第1の楽観シナリオを願っているだけではなく、「備えあれば患いなし」の諺通り、日本は悲観シナリオに対応した備えをする必要がある。

第3部 日本の課題

(1) 経済安全保障リスクの高まり

 世界的に経済安全保障リスクが高まっている。

 第1の要因は、米中の覇権争いの激化だ。前述の通り、米中は経済安全保障の手段を行使して、世界の覇権を巡り争っているが、世界1位と2位の争いであるため、世界の経済システムを揺るがし世界各国に影響を与えている。

 第2は、経済のグローバリゼーションの進行だ。グローバルサプライチェーンが出来たことにより、サプライチェーンの断絶のリスクが高まっている。

 例えば、日本が2019年8月に韓国向け3品目に関し、国際的な責務を果たすために講じた貿易管理の適正化措置が、韓国では経済攻撃と受け止められたことは、経済安全保障措置の影響が大きいことを示している。

 第3は、技術革命の進行だ。デジタル革命や第4次産業革命と言われるように、大変革が起きている。このため原材料、機械設備、人件費に比べ、経済活動に占める技術の比重が極めて高くなっている。

 また、あらゆるものが無形のソフトウエアやデータの形になり、インターネットで繋がるようになり、断絶のリスクが高まっている。さらに、日本は外国技術への依存が高くなっているので、外国からの技術の供給停止と言う「技術安全保障リスク」が高くなっている。

(2)米国の政策が日本に及ぼす深刻な影響

 米国の対中制裁は日本企業にも重大な影響を与える。

 米国の措置は直接的には米国企業を対象にしているが、サプライチェーン(部品供給網)全体をチェックするため、素材、部品、製品などを米国企業に販売する日本企業も幅広く対象になる。

 米国の制裁措置により日本企業は2つのリスクを抱える。

 第1に、米国と共同開発したり、米国の技術を使用した製品を中国に輸出すると、米国の法令に違反する可能性が生ずる。

 第2に米国が問題にしている中国企業の製品、部品、ソフトウエアを使用している日本企業は、たとえ日本国内で使用していても米国政府や米国企業との取引ができなくなり、米国企業のサプライチェーンから外される。その場合、世界市場から外され、事業停止に追い込まれることもあり得る。

 日本企業の多くはこのような最近の米国の厳しい動きを知らないし、必要な対策を取っていない。危ない状況だ。第2の東芝ココム事件の恐れがある。

(3)日本のハイテク産業の崩壊と科学技術力の低下

① 2018年12月ファーウェイの副会長がカナダで逮捕された。米国は安全保障上のリスクがあるとして日本を含む同盟国に中国のファーウェイやZTEを通信システムから排除するよう要請した。日本政府は国名や企業名を出していないが、通信システムの安全保障リスクを低減するよう関連企業に要請した。

 これを受けソフトバンクは、中国のファーウェイから北欧のエリクソンやノキアに切替えると報道されている。転換先が日本企業でないことに驚いた。かつて日本企業は世界トップの通信技術を誇っていたが、次世代通信「5G」に単独で対応できる通信機器やスマートフォンメーカーがなくなった。半導体メーカーもAI(人工知能)に必要なソフトウエア企業も国際競争に負けている。

 デジタル革命とともに、米国のGAFAのプラットフォームへ依存するようになっている。更に次世代の金融技術(フィンテック)も遅れており、このままでは「技術自給率」は低下する一方である。

② 2019年、吉野彰氏が、ノーベル賞を受賞し、日本中が喜びに沸いた。しかし、受賞の発明は35年前のものである。科学技術力の国際比較には、色々な指標が用いられるが、次のように日本の科学技術力は国際的なランキングを下げている。

1)論文数 日本は6位

 全米科学財団(National Science Foundation、NSF)の世界の科学技術の動向をまとめた報告書“Science and Engineering Indicators 2018”によれば、2016年の論文数世界ランキングで、日本は6位に落ちている(論文数ランキングは、1位中国、2位米国、3位インド、4位ドイツ、5位イギリス、6位日本、7位フランス、8位イタリア、9位韓国、10位ロシア、11位カナダ、12位ブラジルの順)。

2)卓越した科学者の数 日本は11位

 米国の調査会社クラリベイト・アナリティクスの“Highly Cited Researchers 2019”は、国際的に引用される論文の数が多い世界の科学者として、6249人を選出した。これらの科学者は、いわば「卓越した科学者」である。日本人ではノーベル賞受賞の山中伸弥教授を含め100名いるが、国別の順位では世界11位である(1位米国2753人、2位中国481人、3位英国、4位ドイツ、5位オーストラリア、6位カナダ、7位オランダ、8位フランス、9位スイス、10位スペイン、11位日本の順。2019年11月20日発表)。

Sergey Nivens/Shutterstock.com

(4)日本はなぜ国家も企業も経済安全保障に無関心なのか?

 日本は1970年代から1980年代にかけてエネルギー安全保障や食糧安全保障の議論が盛んに行われ、政府や民間で色々な対策が講じられた。

 しかし、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の諺通り、次の要因により、経済安全保障の認識は低い。

① そもそも安全保障を軽視

 かつてイザヤ・ベンダサンは「日本人は水と安全はタダと思っている」と指摘したが、基本的に今も変わっていない(「日本人とユダヤ人」1970年、山本書店刊)。

② 軍事と経済を分離

 第2次世界大戦後、日本は米国の守る軍事安全保障体制のもとで経済活動をすれば良いと思っている(これが米国からは「安保ただ乗り論」として批判される)。

③技術貿易を含め自由貿易主義を信頼

 経済安全保障は確保されていると思い、WTOのもとのグローバリズムを信じ、自由貿易主義を推進している。技術は通常の商品(コモディティ)と認識し、金さえ払えば、いつでも外国企業から手に入ると思っている。

④日米構造協議の副作用

 1990年代の日米構造協議により、日本は産業政策を止めたので、自国産業の育成を考える仕組みがなくなった。

⑤企業による技術流出

 1990年代から多くの企業は国内の工場を閉鎖してリストラが行われ、海外投資を進めた。この結果、技術の海外流出や持ち出しが行われた。

 新規分野への投資を止めたり、研究開発部門の縮小や中央研究所を廃止したため、技術開発力が弱まった企業が多い。

 日本企業は従来から産業スパイ対策は弱いが、最近の目に見えないサイバー攻撃に対する防衛は遅れ、技術流出は止まっていない。

第4部 日本の経済安全保障の強化のための提言

 日本が今後、激変する世界環境の中で、国家の存続を維持し、健全な発展をするためには、次の政策を講じて経済安全保障を強化しなければならない。

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