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パンデミック対策の鍵を握る医薬品の「特許権プール」構想

コロナ医薬品特許権プールへの期待と課題

荒井寿光 知財評論家、元特許庁長官

日本は特許権プール構想を提唱へ

 安倍総理は5月25日の記者会見で、「ウイルスに対する治療薬やワクチンを、透明性の高い国際的な枠組みの下で途上国も使えるようにしていく特許権プールの創設を、6月に予定されているG7サミットで提案する」と述べた。G7サミットは9月以降に延期されたが、麻生副総理も4月のG7財務大臣会議で同じ構想を提案しており、この構想は日本政府の方針だ。

 世界各国で治療薬やワクチンの開発が進められており、治療薬レムデシビルは米国に続き、日本でも承認され、いよいよ治療に使われる段階に入った。コロナは、ブラジル、インドに続きアフリカ諸国での感染爆発が懸念されており、途上国でもコロナ医薬品がスムーズに使われることが必要であり、安倍総理の提唱はタイムリーだ。

LookerStudio/Shutterstock.com

 構想の内容は明らかにされていないが、次の仕組みが考えられる。

①G7の政府などが資金を拠出して国際基金を作る
②その国際基金は色々な製薬メーカーから途上国向けの特許の実施権を買い上げる
③それに基づき後発薬メーカーなどに治療薬やワクチンを製造してもらう
④製造された治療薬やワクチンを途上国に無償又は廉価で提供する

医療物資は種類により特許の機能が異なる

 コロナ関連の医療物資は、①医薬品(治療薬、ワクチンなど)②医療機器(人工呼吸器、ECMO、CT、MRIなど)③医療用品(マスク、防護服、ゴム手袋、フェースシールドなど)の3つに分類される。分類ごとに、特許の果たす役割は大きく異なる。

 第1の医薬品では特許がほとんどすべてと言える。医薬品はファインケミカル製品やバイオ製品で、これらを保護するものは「物質特許」と言われる。ファインケミカル製品は原則として一つの医薬品を一つの特許で保護しており、バイオ製品は一つの医薬品を複数の特許で保護している。医薬品はライセンスされることはほとんどなく、ライセンスされる場合のライセンス料は高額で、約50%になることもあると言われる。

 第2の医療機器は、精密機器やエレクトロニクス製品の一部であり、一つの製品に、数千件から数万件の特許が使われており、一つの特許の影響は比較的小さい。エレクトロニクス製品では、特許がライセンスされることも多い。会社同士でクロスライセンスすることや同じ製品を作るために複数の会社が多くの特許を出し合って利用しあうパテントプールも良く行われる。

 第3の医療用品は、どちらかと言えば、ローテク製品で、余り特許で保護されていない。生産能力と生産価格の勝負である。今回のマスク不足は中国に90%依存していて、中国からの供給停止が引き起こしたものであり、特許の問題ではない。

 なお、安倍首相の提唱する「特許権プール」は、複数の製薬メーカーの治療薬やワクチンの特許をプールして一括管理すると言う意味で、エレクトロニクス製品の「パテントプール」のように、複数の特許を使って一つの製品を作るのとは意味が違う。

医薬品特許は極めて特殊

 医薬品の開発には時間とカネがかかる。成功の確率は低く、開発リスクが高い。一つの医薬品は、約3万の候補物質から長年にわたる研究開発により見つけ出され、動物やヒトに対する試験を行い、厚生労働省の承認を経て、初めて販売される。平均で15~17年の期間と500~1000億円の研究開発費用がかかり、成功しないことも多い。このため製薬メーカーは特許の強い保護を求めている。

 特許の期間は通常は出願から20年であるが、医薬品は承認手続きに時間がかかる場合は5年の延長が認められ、更にデータ保護期間として約9年、特許法とは別に知的財産権として保護されるのが国際ルールだ。

Wright Studio/Shutterstock.com

 医薬品価格は研究開発費と治験費用がほとんどで、製造コストはわずかなものだ。医薬品の製造自体は技術的にそれほど難しいものではないので、特許が参入障壁として果たす効果は極めて大きい。「特許の崖」(パテント・クリフ)と言われるように、特許の期限が切れると後発薬メーカーが参入し、先行の製薬メーカーの業績は崖から落ちるように下がることがある。

 医薬品は医薬品医療機器等法(旧薬事法)の承認の問題が大きい。薬は効く人と効かない人がいるし、多くの薬は副作用があるので、有効性と安全性の確認には、時間がかかることが多い。富士フイルム富山化学の抗インフルエンザ薬アビガンは、1999年に特許出願がなされており、2019年に特許の期限が切れたが、未だコロナの治療薬としての承認は出ていない。

 さらに薬価の問題がある。日本では厚生労働省が決める公定価格であり、市場メカニズムで決まる価格ではない。ノーベル賞受賞者の本庶佑先生の開発したがん治療薬のオプジーボは当初は一人当たり年間の薬価は約3500万円したが、今は約半額に下がっている。最近難病治療薬ゾレゲンスマの薬価は約1億7千万円で決まった。白血病治療薬キムリアは約3千万円で、高額の医薬品が増えている。

医薬品アクセス問題は20年の歴史

 1995年に発足したWTO(世界貿易機関)は、米国の強い要求で加盟国に特許などの知的財産の保護を義務付けるTRIPS協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)を締結した。

 製薬メーカーは特許で強く保護して欲しいし、高い価格で売りたいと考える。患者は安く提供して欲しい。特に途上国の患者にとっては、先進国の価格では買えない。

 約20年前、アフリカ等途上国を中心に感染症(特にHIV/AIDS、マラリア及び結核)が蔓延したが、特許制度により医薬品が高価になったり、コピー薬の生産・使用・輸入等が制限されたりしているとの不満が表明された。HIVの治療薬に関し、先進国の患者は年間1万ドルの価格でも買うことが出来るが、年間所得が千ドル以下の途上国ではとても買えない。途上国の患者が先進の医薬品にアクセスできない「医薬品アクセス問題」と言われる。

Riccardo Mayer/Shutterstock.com

 2001年のWTOドーハ閣僚会議で、「TRIPS協定と公衆の健康に関する宣言」(ドーハ宣言)が出され、その後交渉が行われ、2005年にTRIPS協定が改正され、特許権者以外のものが、医薬品を生産し、途上国に輸出することが可能となった。しかし、実際に発効したのは2017年であり、いかに南北間で意見が対立しているかを示している。

国境なき医師団の強い要望

 国境なき医師団(MSF)は、1971年から途上国の患者に対し医療支援を行っている民間・非営利の国際団体であるが、医薬品特許は制限されるべきとの立場だ。

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