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「半沢頭取」誕生で考える銀行の現在地

ポストコロナ2021――技術革新とゼロ金利に苦しむ「冬の時代」を乗り越えられるか

原真人 朝日新聞 編集委員

 「ポストコロナ経済」はどんな世界になるのだろうか。何が中心テーマとなり、どんなリスクに備えなければならないのか。2021年は、政府も企業もいやおうなく近未来を模索しつつ走りだす年になるだろう。

 そのなかでキープレーヤーの一つとなるのが銀行である。

 経済の動脈である金融システム網を動かし、経済界で重きを為してきた銀行。その銀行がここ数年、IT時代の技術革新の波と、長引く低成長・ゼロ金利時代の経済に苦しんでいる。とりわけポストコロナ経済が幕を開けるかもしれない今年は、銀行にとって重要な節目となる。

 これからも日本経済でキープレーヤーの地位を維持できるのか。それとも旧時代の遺跡として衰退していくのか。その分水嶺の年となるだろう。

ドラマヒットの年に「半沢頭取」

 昨年暮れ、久しぶりに銀行のトップ人事が一般の人たちの間でも話題になった。「半沢頭取」の誕生の報である。三菱UFJ銀行は、半沢淳一常務(55)が2021年4月に頭取に就く人事を発表した。

三菱UFJ銀行の頭取に就任する半沢淳一常務=2020年12月24日、東京都内

 これはひとつのサプライズ人事だった。もちろん半沢氏はれっきとした有力な将来の頭取候補ではあった。東大(経済)卒、旧三菱銀行出身で、銀行の要職である企画部門を歴任してきた。この銀行においては本流中の本流である。

 とはいえ、副頭取や専務ら計13人を飛び越しての頭取就任はやはり異例だった。

 しかも昨年はドラマ「半沢直樹」が大ヒットした年であり、新頭取は主人公と同姓である。

2013年放送の「半沢直樹」から。堺正人さんが主演を務めた=TBSテレビ提供
 銀行を舞台に激しい派閥闘争やどんでん返しが交錯するこのドラマは最高視聴率30%超を記録。主人公が「やられたらやり返す。倍返しだ!」と決めゼリフを吐いて対立相手をやりこめる勧善懲悪劇に、多くの視聴者が留飲を下げ、魅せられた。

 ドラマの主人公・半沢は頭取を狙う逸材との設定だったが、まさにドラマの余韻が残る年末に同じ姓の頭取がメガバンクで誕生するとは予想していなかった。初報を聞いて「まさか三菱UFJ銀行が受け狙いの人事を?」と思ったくらいだ。

 両「半沢」には因縁がある。「半沢直樹」の原作小説の作者である池井戸潤さんは、かつて旧三菱銀行に勤務していた。1988年の同期入行組の1人に三菱UFJ銀行常務の半沢氏がいた。ただし小説主人公のモデルは「半沢常務ではない」と池井戸さんは明らかにしている。半沢頭取人事の発表にあわせ、池井戸さんは次のような談話を発表した。

 三菱UFJ銀行の半沢淳一新頭取は、同期入行ではあるものの、ほとんど面識のない方です。ご本人も否定されていますが、半沢直樹のモデルではありません。また他にも半沢直樹のモデルだという方がいらっしゃるようですが、すべて違います。半沢直樹はあくまで想像上の人物で、「やられたら、倍返し」をモットーとする銀行員にモデルは存在しません。ちなみに、「半沢」という名字は、敬愛する知り合いの名前をもじったものです。小説を書く上で、登場人物の名前を考えるのは楽しい作業のひとつですが、「半沢直樹」という名前は特に気に入っています。同じ半沢同士、日本の金融界に新風を吹き込んでいただきたいものです。

 一方の三菱UFJ銀行の半沢常務は12月24日の頭取内定発表の記者会見で、ドラマ主人公と同じ名前であることを聞かれ、次のように答えた。

 ドラマのおかげで銀行が注目されるのはありがたい。ただ、現時点でお客様(の期待)に対して何倍返しできるかは、4月以降に着任してから答えさせていただければ。

 ドラマや小説の「半沢直樹」が人々を引き付けた理由は何だろうか。

金屛風を背に君臨する銀行トップ

 作品そのもののエンターテインメントの力によるものが大きいのはもちろんだ。ただ、その舞台が銀行だったこともかなり大事な要因だったのではないだろうか。陰謀や裏切りが横行するストーリーも、他の業界でなく、銀行だからこそ、読者や視聴者が「十分ありうる話だ」とリアルに感じたのではなかろうか。

 たしかにこれほど特別な地位を占めてきた業界は他にない。政官財界にきめ細かく情報網を張り巡らし、ときには政府の重要政策に、ときには取引先企業による合併・買収や巨大プロジェクトに重大な影響力を及ぼす。長らく経済分野を取材してきた私のような記者にとって、銀行は欠かせない取材対象だった。

 銀行の存在感がそれほど大きかった最大の理由は、戦後長らく資金不足の時代が続いたことだろう。高度成長期からバブル経済期まで、日本ではずっと企業の投資意欲が強く、人々の消費は旺盛だった。企業にも家計にもお金の需要はあるのに、その欲求を満たすだけの資金が不足していた。そこにどうお金を付けるのかは、貸す側の銀行の胸三寸にかかっていた。銀行は、融資先企業の生殺与奪の権利をにぎる強大な権力だったのだ。

 財界の要職も務めた、ある有力メーカーの元会長は企業と銀行との関係について、振り返りつつ、次のように解説する。

 「新年の仕事始めには、各企業のトップが東京・大手町や丸の内の大手銀行本店に新年のご挨拶に参上するのが恒例行事だった。来訪者で大混雑のなかを赤じゅうたんの上を歩いて進むと、金屏風を背にした頭取たちが待っており、彼らに丁重にご挨拶をするのが慣例になっていた。毎年、それを繰り返しながら、何かおかしいなと内心思っていた」

 「銀行は財界でも特殊な地位を占めていた。『財界総理』の異名をとった土光敏夫や稲山嘉宏、平岩外四らが会長だった絶頂期の経団連においても、金融問題は治外法権だった。金融にかかわることは議題にすることさえなく、全国銀行協会の専権事項だった」

全国銀行協会連合会(全銀協)と経済団体連合会(経団連)の首脳部懇談会。挨拶に立つのは柳満珠雄・全銀協会長(三井銀行社長)=1962年2月20日、東京都千代田区の帝国ホテル

 経団連に「金融制度委員会」がようやく設立されたのは、1990年代後半に金融危機を経て、銀行の経営問題が表面化し、公的資金の注入を始めたあとだった。

 しかも長らく銀行の給料は他業種より格段に高く、大手行の就職人気ランキングは常に上位を占めていた。銀行はシステム投資が盛んになると、大卒理系の優秀な人材までさらっていくようになり、人材を奪われた電機や自動車、化学など製造業の幹部たちから恨み節をよく聞いた。

 その銀行の力が急速に低下している。

いまや銀行は「構造不況業種」

 1990年代のバブル崩壊と金融危機、その残滓である不良債権問題を経て、銀行の力は急速に衰えていたが、2000年代初頭の大再編によっていったんは持ち直した。3メガバンク誕生などによってより巨大になることで、銀行は力の衰えをカバーし、影響力を維持しようとしたのだ。

 ところがここ10年、規模の大きさだけではカバーしきれない事態が起きつつある。「ゼロ成長、ゼロインフレ、ゼロ金利」の時代が長引き、銀行を取り巻く景色がすっかり変わってしまったのだ。

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