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「社長を引き受けよう、ただし…」〜長府工産、社員の幸せを創る奇跡の経営(2)

辛酸後の復帰で見せた驚きの決断

神山典士 ノンフィクション作家

 コロナ禍にあっても、感染者の入院中はもとより濃厚接触者や家族同居人が発症した場合のPCR検査のための遅刻早退まで、特別休暇(出勤扱い)になる山口県下関市にある長府工産。コロナ対応で売り上げ減となっても、「この大変な時期に懸命に働いてくれた」という理由で、社員全員期末賞与増額(1・5カ月支給)という英断にも出た。リモートワーク中は、「就業時間後にも業務の電話がかかってくる」という理由で、営業社員には一律1・5時間の残業手当もつく。

長府工産横浜支店の事務所長府工産横浜支店の事務所

 コロナ禍でさまざまな企業の「本音=社員への冷遇」が露呈する中で、その手厚さはまさに「社員の幸せを創る経営」だ。業界内や周囲の企業からは驚きの声があがる。

 だが長府工産のこの経営スタイルは「コロナだから」ではない。コロナ以前から「社員のモチベーションを最大にする経営」が行われてきた。例えば2017年の春には――――。

「社長、そんな施作はやめましょう!」

 その日、来るべき全社会議(年に一度全社員が北九州市内のホテルに集まって年度方針等を確認する会議)のために会議室で伊奈紀道と顔を合わせた専務取締役営業本部長井村隆は、思わず「ええっ!」と大きな声を出した。

 「社長、そんな聞いたこともないような施策は止めましょう。どこからそんな発想が出てくるんですか?」

 だが伊奈は平然としてこう続けた。

 「これだけはぜひやらせてくれ。社員もみな頑張ってくれている。会社としてもその働きに応えたい。『会社は自分のもの』と思ってくれたらモチベーションアップにも繋がるんだから―――」

 その時伊奈が井村に告げたのは、驚くような自社株対策だった。

 ―――在籍2年以上の全社員と就業時間が6時間以上の全パート社員を対象に自社株200株(10万円分)を無償で支給する。ただし株主総会で議決権のない優先株とする。

 つまりこの株式を取得した社員とパート社員は、経営に参画できるわけではないが「配当」は手にできる。前回書いたように同社では、持株会発足以来(赤字計上の年も含め)、ずっと1割以上の配当が続いている。社員持ち株会では毎年4月に希望者は限度310万円まで(1回の申込上限50万円)株式が取得できるから、給与、手当て、年三回のボーナスの他に年間31万円までの配当も受けることができる。

 「待遇面では、一部上場企業に勤める弟からも『兄貴の会社は凄いな』と言われています」と語る社員がいるほど、給与面でも手厚いシステムができているのだ。

 だがそれは収入面で社員の生活を支えるという理由だけではない。伊奈はこう語る。

 「私の経営方針の根幹には「公正公平」があります。会社が利益を出したら社員全員で分かち合うべきです。でもそれだけでは「会社は自分のもの」とは思ってくれない。その意識をどうすれば社員がもってくれるか?常にそれを考えています」

会社は誰のものなのか?

 「会社は誰のもの?」。これまでもさまざまな経営者がさまざまな私論を出し、試行錯誤されてきた大きな経営課題だ。古く日本式経営では「終身雇用、年功序列」のもと「会社は社員のもの」だった。だが新自由主義経済となって「会社は株主のもの」という風潮が強まった。この思想では社員の労働環境は護れず不採算部門に働く社員の雇用も維持できない。

 ―――ならば社員を株主にすればいいではないか?

 伊奈はダイレクトにそう考えた。これまでも社員に自社株を持たせる経営者はいた。筆頭株主は社員持ち株会だという会社もある。

 だがパート社員を含めた社員全員に無償支給という企業は聞いたことがない。この制度が始まった18年から毎年7月には在籍2年次となった対象者に支給されているから、その年の利益に応じた税金対策ではないこともあきらかだ。

 なぜ伊奈はこの制度を作ったのか? 本人はこれ以上は語らないが、実はその経営者としての歩みに、その理由はありそうだ。

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