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「ここが正念場」という言葉の落とし穴 命か経済かの二者択一は正しいのか

元東京都福祉保健局技監が考える新型コロナ対策のロードマップ

岩崎賢一 朝日新聞社 メディアデザインセンター エディター兼プランナー

 首相、知事、専門家らが新型コロナウイルス感染症対策で発する短いフレーズのメッセージが、国民の間に予期せぬ印象を与えてしまっている――。

 政策決定プロセスや司令塔が見えない――。

 公衆衛生行政に長年携わってきた元東京都福祉保健局技監の桜山豊夫・東京都結核予防会理事長(医師)は、伝える側と受け取る側のギャップがあり、「リスクコミュニケーションの失敗があった」と指摘しています。なぜ、このようなことが起きているのか、読み解いてもらいました。

新型コロナ・キーパーソンに聞く・桜山豊夫さんモニタリング会議後に取材に応じる東京都の小池百合子知事=2021年5月27日午後1時49分、東京都新宿区の都庁

国も都道府県もリスクコミュニケーションが不十分だった

――高齢者に対する予防接種が始まり、一部で電話予約がパンクするといった事態が起きています。それでも今後は急速に接種率が上がっていくものと思われます。ここ1~2カ月の区市町村の動きをどうみていますか?

 例えば、人気のあるミュージシャンがアリーナ公演を開く際、インターネットで予約を受け付けますよね。その際も、アクセスが集中し、なかなかサイトにつながらないといったことが起きます。昔なら電話で予約をしましたよね。今回の予防接種予約は、さらに規模が大きいため、一時的に電話予約の集中することは仕方がないことだと思います。

 新型コロナ対策では、首相や都知事が批判されることが多いですが、結果的には感染をこのレベルで抑えられているのでよくやっていると思います。政策がよかったがどうかは検証しなくてはいけないですが、国民の多くが感染予防対策をとっているからです。国民の中には、神経質にまで対策をしている人から、対策をあまりしていない人たちがいます。後者を中心に感染が起きているわけですが、日本では前者が多いため、いわゆる感染爆発というものが起きていないのだと思います。

新型コロナ・キーパーソンに聞く・桜山豊夫さん記者の質問に答える菅義偉首相=2021年5 月27日午後7時15分、首相官邸

――新型コロナ対策は、人の命を守ること、医療崩壊させないこと、経済的な破綻をきたさないことなど様々な要素を踏まえて決定・実施されることが重要です。国や自治体だけでなく、国民一人一人も厳しい状況に立たされています。

 感染症対策では、人の命を守ることが重要ですが、社会機能を守ることも重要です。命か経済の二者択一ではなく、両者のバランスをとることが重要。最終的な決断は、専門家ではなく行政の政策担当者が下すものだと思います。国においては首相であり、都道府県では知事です。首相や知事が最終決断をする際、公衆衛生行政の果たす役割は大きいと思います。厚生労働省でいえば医務技監がそれを担います。

 例えば、緊急事態宣言が出た際の対策を考えてみましょう。1年前の緊急事態宣言では「人との接触を8割減らす」ことが目標とされました。人との交流を減らせば感染者が減ることはわかっています。ただ、その一方で、社会機能はマヒする。飲食店の時短や映画館、イベントの規制などについて、公衆衛生行政の担当者がもう少し前面に出てリスクコミュニケーションをとるべきだったと思います。

 いま、細かいところで様々なハレーションが起きているのは、国や都道府県によるリスクコミュニケーション活動が適切にできていなかったからに他なりません。

首長、専門家が放った期待感抱かせるフレーズ

――首相や知事と一緒に会見する専門家、テレビのワイドショーに登場する医師、インターネットや新聞、雑誌を含め、様々な専門家や医療従事者がそれぞれの解説を展開しています。人々がどのようなプロセスでどのような情報に接するかは、時代を反映し、かなり多様です。

 診療の最前線にいる医師は、目の前の患者を救うことに努力し、非常に疲れています。だから、なんとか感染者数を減らして欲しいと願っているし、それを強く主張することは間違っているとは思いません。
感染症の専門家が、人との接触を遮断する、人の流れを断ち切れば感染者が減るだろうというのも正しいことです。

 しかし、そうするとつぶれる企業、つぶれる飲食店が多く出てくるでしょう。できれば、社会生活を維持しながら感染拡大を抑えたいというのが、行政関係者の意識にはあります。

 新型コロナは、飛沫感染、接触感染、特殊な環境下でのエアロゾル感染でうつることが、わかってきています。潜伏期間が長い、無症状者でも感染させる恐れがあるのが、怖いところです。

 これを前提に考えると、感染確率を8割下げることで、人との接触を8割減らすのと同等の効果が得る方法はないでしょうか。つまり、ウイルスが感染しない環境を整える施策を打っていくということです。もちろん、それはみんなが行わなければなりません。個人防衛ではなく、社会防衛として行うのです。

 本人たちがマスク会食にしても、周囲の人たちがマスクを外してワイワイ楽しんでいたら、感染リスクが下がっているとはいえません。そこがわかっていない人たちがいるので、「公園で飲むならいいだろう」と考える人たちがでてきてしまうと思います。

 これについても首相や知事が会見で一生懸命説明していますが、もともと公衆衛生におけるリスクコミュニケーションの経験が少ないため、「三密」や「5つの小」など端的でわかりやすい言葉に頼ってしまうのだと思います。

新型コロナ・キーパーソンに聞く・桜山豊夫さん「基本的対処方針分科会」を終え、取材に応じる政府の対策分科会の尾身茂会長=2021年5月21日午前11時36分、東京都千代田区

――メッセージがシンプル過ぎてしまい、情報を受ける側に伝えるべくメッセージと違う印象を与えてしまうということですね。

 専門家が詳しく、かみ砕いて説明していても、発する言葉の中にはメッセージと逆の印象を与えてしまうことがあります。例えば、「ここが正念場」だとか、「重要な時期」という言葉は、ここを乗り切れば何とかなるという印象を与えてしまう恐れがあります。

 国民の努力によって欧米に比べて小さな波に抑えられてきたので、そこで「ここが正念場」というメッセージを出すと、ゼロにはならないけど収まるのかなという期待を抱かせてしまったのだと思います。最初から長く続くんだという覚悟を持って、長く続けられる対策を考えるべきでしょう。これを考えるのは、国でいえば厚生労働省だし、都でいえば福祉保健局です。

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