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元「官邸の大番頭」が語る、ワクチン敗戦、五輪強行、首都直下地震

石原信雄・元内閣官房副長官に聞く

原真人 朝日新聞 編集委員

 菅政権の支持率の凋落ぶりが激しい。朝日新聞が7月17~18日に実施した世論調査での支持率は31%に。昨年9月の内閣発足以降では最低だ。当然と言えば当然だろう。多くの国民の声を無視する形で東京オリンピック・パラリンピックの開催を強行。ならば国民の安全確保のためにワクチン接種で万全の準備をしているのかと思いきや、接種体制の整備は先進国で最も出遅れた。そしていま、五輪開催下で新型コロナ感染が爆発的に広がりつつある。

 華やかなスポーツの祭典が開かれている一方で、国民はいまも長い自粛生活を強いられている。そのなかで営業自粛要請に応じない飲食店に、政府が金融機関などを通じて圧力をかけようとしていたことも発覚。政府は批判を受けて、すぐに撤回に追い込まれた。いったい菅政権の危機管理はどうなっているのだろうか。どの政権であってもこの程度の対応しかできないものか。およそ政府というものはいざという時には役立たぬものだと割り切るべきなのだろうか。

 ここは危機管理にも政権運営の内情にも通じた経験者に評価をあおいでみたい。官邸事務方トップである内閣官房副長官を7年余り務め、7内閣に仕えた経験のある「官邸のご意見番」、石原信雄さん(94)に、菅政権のコロナ対応や危機管理について意見を聞いた。

インタビューに応じる石原信雄・元内閣官房副長官=筆者撮影インタビューに応じる石原信雄・元内閣官房副長官=筆者撮影

――日本のワクチン接種体制が出遅れ、「ワクチン敗戦」と批判されています。今の菅政権に対してはどのような評価をしていますか。

 「ワクチン接種がなぜここまで遅れてしまったのか疑問ですね。日本は厚生行政では先進国でも先を行っていたはずなんです。それが今回なぜ後手に回ってしまったのか」

――かつて薬害エイズ訴訟で官僚の政策判断の責任を問われた厚生労働省は、副作用などがあるかもしれないワクチン政策でリスクは冒せないとでも考えたのでしょうか。

 「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く、という形になっちゃったんでしょうかね。ただ、平時であればそうやって厚労省が対応すればいいが、今回のコロナ禍では、ただちに問題対応を厚労省から内閣が引き継いで、ワクチン接種を政権あげて、もっと計画的に、もっとスピーディーにやるべきでした。なぜそれができなかったか。なぜこんなに遅れちゃったのか。危機意識が足りなかったんでしょうか」

司令塔が見えないコロナ対策

 政府対応の遅れの原因の一つとして指摘されてきたのが司令塔の不在である。なんらかのコロナ対策の指揮をとっている閣僚は何人もいる。専門家会議などを司り、国民向けのスポークスマン的役割を担うのが西村康稔経済再生相、医療を中心に幅広くコロナ対策を受け持つ厚生労働省を率いるのが田村憲久厚労相、ワクチン接種を加速させるために専門の担当大臣になった河野太郎行革相、さらには大規模接種センターの運営に自衛隊がかかわることになったので参画した岸信夫防衛相がいる。感染拡大にも影響する巨大イベントという点では丸川珠代五輪相もそうだし、飲食店や観光事業などの自粛要請がらみでは梶山弘志経産相、赤羽一嘉国交相も関係閣僚と言えるだろう。そして官邸の元締め、加藤勝信官房長官が当然含まれる。

「基本的対処方針分科会」に出席した尾身茂会長(手前左)と西村康稔経済再生相(同右)。田村憲久厚生労働相(中央)は途中退席した=2021年7月8日、東京・永田町 「基本的対処方針分科会」に出席した尾身茂会長(手前左)と西村康稔経済再生相(同右)。田村憲久厚生労働相(中央)は途中退席した=2021年7月8日、東京・永田町

 これだけ多くの大臣がかかわると、「船頭多くして船山に登る」の例えもあるように、誰が全体を掌握し調整しているのか、なかなか見えてこない。閣内の格付けから言えば、加藤官房長官が核となって全体を仕切るのが順当なのだろうが、官房長官会見ではコロナ問題の質問が出ても他人事のような答弁しかしていない。その姿からはとても司令塔としての自覚は伺えない。

 ある大臣が発言したことを、他の大臣が即刻否定したり、まったく異なることを言ったりする場面もたびたび見受けられる。どう見ても菅内閣のコロナ対応は混乱の極みにある。

――コロナ対策の船頭が多すぎたのでしょうか。

 「厚生行政に通じた大臣が多いこの顔ぶれから見れば、もっと早くワクチン接種をやれてもよかったのではないかと思いますが、なぜできなかったか。よくわからないですね。関係者の連携が良くなかったのか。それぞれ責任感の持ち方がイマイチだったか。国民の健康を守るということを優先するのであれば、きちんと責任者を決め、なにより最優先でワクチン接種を進めるべきでした」

 石原さんが官房副長官だった1995年、阪神大震災が発生した。当時としては戦後最悪の被害となったこの震災では、政府の初期対応が遅れた。このため当時の村山富市政権は厳しい批判にさらされる。そこで政権は北海道・沖縄開発庁長官だった小里貞利氏を震災発生から3日後に地震対策担当相に任命。小里氏が対策の陣頭指揮に立った。

 「阪神大震災では初動が遅れたと批判されたが、あのときは通信が途絶えて貝原俊民兵庫県知事からの連絡が遅れたという事情がありました。非常に残念だった。当初、官邸では警察からの情報をもとに対応をしていました。すぐに小里さんという行動力のある大臣を復興専門の大臣にして、ここを司令塔に対応する体制を築いたのです」

 「小里さんには『すべて内閣が責任を持つ、予算も後で面倒をみるから陣頭指揮を任せる』と言って、かなりの権限を与えました。現地で知事と相談しながら全部決めてもらい、指揮してもらいました。これで震災対応はかなり進みました。そこを評価する報道はあまりされませんでしたが、私はかなりよくやったと思っています」

 「あのときの危機対応は阪神地域が対象でしたが、今回のコロナ危機は全国です。さらに大変な事態です。それなのに、あのときのように官邸に非常対策本部ができたという話は聞いていません。そこはやや手ぬるいという感じがします」

阪神・淡路大震災から3日目。被災地を訪れ兵庫県庁で記者会見をする村山富市首相(当時)阪神・淡路大震災から3日目。被災地を訪れ兵庫県庁で記者会見をする村山富市首相(当時)

五輪強行ならやっておくべきことがあった

 どうしても解せないのは、菅政権がなぜ東京オリンピック・パラリンピックの開催をここまでリスクを負って強行したのか。そこにどれほどの覚悟があったのか、という点である。開催前夜も、開催した後も、とても周到な準備や成算があったとは思えない失策や不手際が政府や東京五輪組織委員会で続出している。

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