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賠償金頼みの新たな「原発依存のまち」になりつつある避難指示解除区域

廃炉作業員の宿舎とメガソーラーだらけの風景が覆う富岡町

北村俊郎 元日本原子力発電理事

売地の目立つ富岡町小浜地区(避難指示解除区域)売地の目立つ富岡町小浜地区(避難指示解除区域)

政治家の無責任な「最後のひとりまで」発言

 東日本大震災と原発事故から11年が経った。菅直人氏から始まって歴代の首相の名前はと聞かれれれば答えられるが、歴代復興大臣の名前は、と聞かれても答えられない。昨年、11月に就任した西銘恒三郎氏は第13代の復興大臣だから、毎年、大臣が交替していることになる。この間、政権交替があったにせよ、これでは大臣がやっと状況を把握できたたくらいで、次の人に引き継ぎしていることになる。

 これにも増して、被災者を愚弄しているのが、歴代首相や大臣が就任後に福島を視察に訪れて必ず口にする「最後のひとりが帰還するまで除染と復興をしっかりやる」というセリフだ。住民が避難してもう11年になるが、いまだに住民の居住がかなわないどころか立ち入りさえ制限されている区域がある。その面積は山手線の内側の5倍(大阪環状線では11倍)に匹敵する340平方キロメートルもある。国は事故から18年後の2029年までには全域解除したいとしているが、現在、先行して除染をしているのは、その8パーセントに過ぎない。

 住民の戻る気が持続するのは長くて5年だ。すでに原発に近い4町(大熊町、双葉町、富岡町、浪江町)の住民のほとんどが、東京電力からの不動産賠償金で避難先などに家を建て、仕事や学校を決めて定住してしまっている。「既に戻っている人」、及び「戻る意思がある人」は、15パーセント程度で皆、高齢だ。戻って暮らしても何年か後には介護施設に入るか亡くなるかだ。そのうち町には元住民が誰もいなくなるだろう。

 大臣たちは何故、無理だとわかっているのに「最後のひとりまで」と発言しつづけるが、どこまで分かっての発言なのだろうか。北朝鮮に拉致された人々のことを「最後のひとりまで」と言っているのを真似ているだけではないのか。現地の状況を見ると、解除した頃には、もう帰還する人はほとんどいないと言うことになりかねない。県知事も地元の首長も大臣の発言に異を唱えないのは、国に復興期間の延長を期待してのことなのだろうか。

写真はすべて2022年3月12日、筆者撮影

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誰も戻らない地域の管理は誰がするのか

 テレビでは解除された地区にできた新しい公共施設など、断片的にしか映らないが、原発に近い4町の実態は凄まじいものだ。除染は原発から遠い場所からスタートし、徐々に原発周辺に及ぶ。環境省は土地や家の所有者に、除染とともに家屋の解体をするかを聞いてくる。既に実質的な移住をしている避難者のほとんどは、解体を選択している。

 選択の大きな理由は金銭的なものだ。解体を選択すれば、解体工事費は無料で、75~300万円を国から支援金として支給される。その区域が避難解除された後に、自分で家屋を解体すれば、場所が場所だけに、数百万円の自己負担となる。事故前に新築した家屋であっても、人が住まずに11年が経ってかなりの痛みがあるので、解体を選択する人がほとんどだ。事実、町の中心部にあった商店街でも、半分以上が解体され更地になって、「貸地」「売り地」の看板が立っている。

 住宅地や農業地であったところも、除染工事で出た表土などを入れた黒い袋(フレコンバッグと呼んでいる)こそ少なくなったが、一面に草が生い茂って、その中に朽ち果てた家屋が見え隠れしている。これでは避難指示が解除されて戻ろうとしても、地域が荒れ果てて、元の雰囲気はない。

管理されないままになっている土地(帰還困難区域)=富岡町小良ケ浜深谷地区管理されないままになっている土地(帰還困難区域)=富岡町小良ケ浜深谷地区

 数十戸の集落で、あたり一面に草が生い茂り、猪やアライグマなど野生動物が繁殖している土地では、一家族が戻っても、文字通り「ポツンと一軒家」になる。以前であれば、各自の庭や畑はきちんと手入れが行われ、道路脇の雑草は地区の住民が共同で刈っていた。

 今後、

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