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モンテ・ヘルマン21年ぶりの新作、『果てなき路』に仰天!

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 <映画作りについての映画>というやつが、どうも苦手だ。映画作りにまつわる困難を、それ自体として映画のネタにするなんて、ちょっとズルいじゃないか、ちゃんとドラマとして完成した作品で勝負しろよ、と言いたくなる。それに、<映画作りについての映画>といった小むずかしいコンセプトは、映画学のセンセイ方にまかせておけば? と思ったりもする。

 しかし、である。かつて“伝説的な”ロードムービー『断絶』(1971)などを撮り、アメリカン・ニューシネマの異才として注目されたモンテ・ヘルマン21年ぶり(!)の新作、『果てなき路(みち)』は、文字どおり映画作りについての映画なのに、ラストまで興奮しっぱなしだった。なぜか――という点を含めて、この映画の魅力に迫ってみたい。

 『果てなき路』は、有望な若手監督ミッチェル(タイ・ルニャン)が、謎の女ヴェルマをめぐって実際に起こった犯罪を題材にする映画、「果てなき路」の製作にとりかかる過程を、<フィルム・ノワール>の形式で描いている(フィルム・ノワール:しばしばファム・ファタール/宿命の女/悪女が登場する、1940年~50年代にアメリカで流行した暗いムードの犯罪映画)。

 しかし本作は、そうした「映画作りについての映画」的な部分も含めて、誰が見ても面白いサスペンス映画となっているのだ。

 もっといえば、

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