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文庫はいまや時代小説!?

鷲尾賢也 鷲尾賢也(評論家)

 この数年、ミステリーから時代小説に文庫の主流が移ってきたような気がする。といって池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎という従来のものではない。もちろん、中里介山、山本周五郎、吉川英治、子母沢(しもざわ)寛、海音寺潮五郎などでもない佐伯泰英『居眠り磐音』(双葉文庫)などの書き下ろしである。

 単行本の2次利用が文庫である。売れ行きのいいもの、評判のものが選ばれて文庫になる。ところが、単行本を飛び越えて、はじめから文庫としてスタートする。

 なぜこういった刊行形式が起こったのだろうか。文庫の場合、単行本並みの初版部数だとすれば、印税は知れたものだ(例えば、定価600円で部数5000部なら、普通は30万円)。これでは一冊書き上げた労力に到底見あわない。それなら定価の高いハードカバーで出せばいい。

 しかし、出版不況の折、そんな簡単にはいかない。売れないことが少なくないからだ(もちろん文庫だって売れるとは限らない。その場合でも、単行本にくらべて危険負担が少ないという判断がある)。出版社側の苦肉の策が書き下ろし文庫になった気もする。

 また、次のようなことも考えられる。

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