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【ポスト・デジタル革命の才人たち】 むぎばやしひろこ(中)――スマホがつくる新しいコミュニケーションとライフスタイル

聞き手=服部桂(朝日新聞社ジャーナリスト学校シニア研究員)

服部桂

むぎばやしひろこさん   撮影=松本敏之

■デジタルサイネージで世界の広告賞

――最近話題のデジタルサイネージの賞を受けたそうですが。

むぎばやし スマホアプリを出す前は、モシモカメラのエンジンを使ってインタラクティブなデジタルサイネージを作っていました。いわゆるコンピューター映像を使った屋外広告ですね。 

 例えば、ソニーの「α」というデジタル一眼カメラが出たときには、六本木ヒルズで「Sony α Interactive Mega Gallaryというインタラクティブな映像ギャラリーを展開しました。

「Sony α Interactive Mega Gallary」

 これは世界3大広告賞「ONE SHOW INTERACTIVE 2009」のOther Interactive Digital Media部門で受賞しました。

 また六本木ミッドタウンにあるリステア(RESTIR)というセレクトショップでは、幅6メートルの大型LEDディスプレーを使ったショーウインドーに応用して、その前を通った人に反応して変化する広告を数年前に展示していました。この作品は、「デジタルサイネージジャパン 2009」の景観部門の優秀賞を受賞しました。

セレクトショップ「リステア(RESTIR)」

――かなり大規模な展示ですね。それからダウンサイズしたということですか。

むぎばやし こうした広告の仕組みは面白いのですが、その場で限られた人にしか使ってもらえないという制約があります。ところが2008年に、iPhone OS以外にグーグルのAndroidというモバイル端末用のOSが出てきて、気軽にアプリが開発できる環境が出現したんです。同時にスマホ端末のCPUの処理速度もアップしました。

 スマホでエンジンを動かすことができたら、手のひらの中で同じことができ、ARの可能性が広がるという確信がありました。まずはARの技術を知らない人でも楽しんでもらえるような、新しい視点を提供するアプリをやってみようと思って、「AR撮影エンターテインメント」をコンセプトに2年前に作ったのがモシモカメラでした。東芝モバイルコミュニケーションの企画担当者の方に、デモ版を「おもしろい」と評価していただき、それをきっかけに製品化することに成功して、レクザフォンへ搭載されました。

 それから少しずつバージョンアップを重ねて、例えば3Dのエフェクトが出る「モシモカメラ3D」はシャープのアクオスフォンに搭載されました。GPSに連動してその場に合ったエフェクトが出る「モシモカメラ2.0」はNECのメディアス、最新バージョンは、富士通のARROWSに搭載されました。「モシモカメラ」アプリの進化としては、このエンジンを、ライフスタイルに関係する実用的な分野にも広げてゆきたいと思い、ヘアシミュレーションに応用したのが、前回ご紹介したヘアスタイルナビなんです。

 またこうした機能をクラウドサーバー上で実現する仕組みも、もう研究開発が済んでいるので、端末の中だけじゃなくて、ネット上の動画のサービスなどに絡めたサービスも開発しようと考えて、ARの新たな可能性を追求していきたいと思っています。

――最近は画像系のソフトが人気ですね。Facebookも、画像を簡単に加工できるサービス会社を10億ドルで買収しましたね。

むぎばやし インスタグラム(Instagram)という写真の共有アプリを作っている会社ですね。雰囲気のある写真を簡単に撮れて、それをすぐソーシャルメディアにシェアできるソフトです。私もずっと使って注目していました。シリコンバレーのベンチャーのエキジットは売却のスケールが大きくて、私たちも頑張りたいですね。一方で、インスタグラムはエフェクトを有料で販売すると言っていたんですが、結局マネタイズにチャレンジしないうちに売却され、そのビジネスモデルに興味があったので残念に思いました。

――現在はFacebookやTwitterも、小さなモバイルの端末では、細かく文字をやり取りするより画像を使う方が効果的だと気づいて、それがトレンドになっている気がしますけれど。

むぎばやし そうですね。今やろうと思っているのは、モシモカメラでやってきたことを、プリインストールという形だけではなく、広く自由に楽しんでもらえる方法を提供することです。今までは撮影して遊ぶことが中心だったんですけれど、ヘアスタイルのシミュレーションをする実用的なアプリができたので、次はお化粧や洋服にも挑戦したいです。髪型でもメークでも洋服でもスマホでARシミュレーションができたら、新しいライフスタイルを提案するサービスを提供したいと思っています。

■モデルからエイベックスでビジネス立ち上げへ

――ちょっと時間を遡って、この会社を興される前のお話を伺いたいのですが。

むぎばやし 一緒に会社を始めた中原淳という技術担当(CTO)と私は、岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(Institute of Advanced Media Arts and Sciences:IAMAS、http://www.iamas.ac.jp/J/index.html)という、ちょっと変わった大学院で同窓生だったんです。コンピューターを使ったコンテンポラリー・アートの一種のメディアアートや、AR、インターフェースデザインやユビキタス・コンピューティングなどを広く研究する大学院大学です。1学年に20人程度の学生しかいなくて、24時間研究できる施設になっています。教授が海外からも来ていて生徒の倍以上いたりして、グローバルでカッティングエッジなすごく変わった場所だったんです。

――初代の学長は、朝日新聞学芸部OBの坂根厳夫さんですね。岐阜県の梶原拓知事(当時)の肝いりで、近隣の愛知県ともソフトで対抗していこうと、1996年に新しいソフトを育成するために設立され、世界的にもユニークな学校として注目されました。

むぎばやし IAMASに行く前は、エイベックスで、音楽とITを掛け合わせて新規事業開発をする、デジタルコンテンツ・プロデューサーとして仕事をしていました。エイベックスとソニーミュージックと共同で、日本初の音楽配信ビジネスを始動するプロジェクトは非常にエキサイティングでした。それが、現在のレーベルゲートやレーベルモバイルへと発展しました。インターネットライブ配信事業、i-modeやau向けの携帯サイト事業なども手がけました。

エポケ

 思い出深いのは、エポケ(epoché)というキャラクターライセンスビジネスのプロジェクトです。エポケは、エイベックスにキャラクターライセンスビジネスを立ち上げようと、当時の同僚で、現在はサンリオ欧州及びサンリオアメリカの社長となって大活躍している鳩山玲人さんと2人でプロジェクトを組んで奮闘したものです。デスクトップをかわいく変更できるソフトを作り、エポケの絵本も出版し展示会も開催しました。

 新規事業は成功する確率が低く苦労の連続ですが、全力で知恵を絞って多くの人を巻き込んで挑戦を続けることで、チャンスの神様が微笑んでくれる瞬間があります。そのチャンスを掴んで事業として羽ばたく快感を一度でも味わうと、楽しくてやめられないですね。社会にも貢献できて、非常に達成感も大きいです。

――きっかけは、音楽業界に行きたかったからですか。

むぎばやし エイベックスに入ったきっかけは、異色なんです(笑)。大学生の時にモデル事務所に入って仕事をしていたんですが、プロダクションを立ち上げたエイベックスの人に原宿でスカウトされて移籍して、モデル・タレントとして所属することになりました。デビューに向けてレッスンもしてました。

モデル時代の作品

 一方で、昔からコンピューター・アートやバーチャル・リアリティー(VR)にとても興味があったんです。大学では社会情報学を専攻してメディア論を研究して、マーシャル・マクルーハンの本や、服部さんのVRや人工生命の本を読んでとても影響を受けました。

 それで実際にVRを勉強したいと思っていた頃に、秋葉原にデジタルハリウッドという専門学校ができたんです。今はすごく大きな学校になって大学院まであるんですが、当時は秋葉原の雑居ビルのワンフロア。でもドアを開けると、CG専用の高価なシリコングラフィックス社のワークステーションがあって、3DCGのソフトやノンリニア編集システム、専用回線の最速ネット接続、モーションキャプチャーのスタジオも! 大学にもないような最先端技術環境が詰まっているワンダーランドでした。

 しかも学生になると、24時間利用可能という、未来のデジタルクリエーター育成のための不夜城だったんです。校長の杉山知之先生はMITメディアラボにもいらした、ユニークでロックな夢のある方で、見学にいって意気投合しました。夏に入学試験を受けたら、次の日に学校から電話がかかってきて、「合格です」と言われて、「来春、授業が始まるのを待てません!」と答えたら、「明日からきて、OJTで手伝って下さい」ということになりました。それで、夏休み中から学校へ行って、ホリプロのバーチャルアイドルプロジェクト「DK96」をいきなり手伝っていました(笑)。

――そうですか、DK96って伊達杏子という名前の初のデジタルアイドルでしたが、実はむぎばやしさんが陰で操ってたんですね。それにしても、ダブルスクールで仕事とマルチな生活ですね。

むぎばやし 私がエイベックスに所属した当時は、すごく勢いがあり、上場前なのでアットホームなファミリーのような感覚で、経営者や社員やタレントが交流していました。私の一日は、朝は大学へ行って、昼間はエイベックス、夜はデジタルハリウッドやクラブへ行って、その合間に連載の原稿を書いていました。

 エイベックスでは、モデル・タレントの仕事をしながら、ウェブサイトやインターネットライブイベントの企画書を書いては「やりましょう!」と、毎週のようにプレゼンしていました。創業者の依田会長はじめ皆さんは柔軟で先見の明がある方ばかりで、私の話をちゃんと聞いて下さいました。そして依田会長が「面白いからやってみろ」と言って下さって、エイベックスのウェブサイト「avex network」を立ち上げることになり、当時の会長室の上司と2人で始めました。依田会長は現在もアイティアの取締役として参画していただいています。

――そして日本初のデジタルコンテンツ・プロデューサーになったということですか。

むぎばやし 最初は「D.I.Y(Do it yourself)」で、自分で企画やデザインやコーディングをして「avex network」を開発し、TRFやhitomiやglobeなどのアーティスト公式サイトは、アーティスト達と相談しながら一緒につくりました。ハイスペックなパソコンが必要だったので、秋葉原でパーツを買ってきて、自分で組み立ててました。

 大学とデジタルハリウッドを卒業した頃、NTT開発のオーデオ圧縮技術を使って音楽をネットで聞く「NTTパワーネット」というキャンペーンがあって、高城剛さんやhitomiさんと一緒に、タレントとしてインターネット・ナビゲーターという仕事をしていました。テレビ番組にも出ていました。

 そのうちにプロダクションの千葉社長から「タレントかデジタルか、どっちをやりたい? そろそろ本気で決めろよ」と言われました。当時は、デジタルコンテンツ・プロデューサーという職業や肩書きは存在しなくて、自分で考えたものでした。その道の達人、ハイパーメディアクリエーターの高城剛さんに「デジタルコンテンツ・プロデューサーになりたいと思うんですけど、どう思います?」と相談しました。すると「それいいじゃん。日本初でしょ、誰もやってないよ。かっこいいから、やりなよ」と言ってもらって、デジタルコンテンツ・プロデューサーの道を選ぶ決心をしたんです。

 それからは、エイベックスでの7年間は「走りながら考えろ」をモットーに、IT業界の成長の波に乗って、たくさんの素敵な方々と出会いながら、本当に面白い仕事と経験をさせてもらいました。エイベックスがなかったら今の私はなかったと思います。

 一段落して、次なるテーマとして、ARやメディアアートを自分のものにしたいと思って、IAMASを受験して、2004年から06年まで在籍していました。その頃、ソーシャルネットワークが大学院で流行り初めて、「これは面白い」と感じていましたね。

■メディアアート研究から会社設立まで

――メディアアートはなかなか面白いですね。

むぎばやし 東京の初台にあるNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)やオーストリアのリンツにあるアルス・エレクトロニカ・センター(Ars Electronica Center)などで、コンテンポラリー・アートとしてメディアアートが展示されていて、そうしたものにもすごく可能性を感じていましたね。

――ところで、IAMASではどういう勉強をしたんですか。

むぎばやし 最初にやっていたのは「ジオメディアプロジェクト」です。GPS衛星を5つ使って高精度に位置を検出して、屋外で実空間とCG空間とを重ねあわせてインタラクティブ・コンテンツを配信するARのプロジェクトです。通常の位置検出には3つの衛星しか使いませんが、5つ使うと30センチ程度の誤差で、非常に正確な位置測定ができるんです。それを使って町の名所や遺跡のある場所で、ディスプレーを付けて景色を見ると、いろいろな説明が細かく出てくるシステムなどを作って実験していました。

IAMASでの実験

――当時としてはかなり先進的なARですね。

むぎばやし そうですね。もう1つは、電子楽器を作っていたんです。04年にIAMASの仲間(斉田一樹、三原聡一郎)とプロジェクトを立ち上げました。これは、通常の電子楽器とは違って、音の入出力のある小さなデバイスを組み合わせて、その組み合わせで自動的に音響空間を作りだすモイズ(moids)というプロジェクトです。1つのモジュールが隣のモジュールの音を拾って、自分の中で処理して新しい音にして、その先の別のモジュールに伝言ゲームのように伝えていく仕組みになっています。

moids

 人間が操って電子音を出して演奏する楽器ではなく、スコアがない音楽を自動生成する、どちらかというと環境音作りに近い発想です。全体のモジュールから出る音が共鳴して、不思議な波のうねりのような音が出てくる、サウンド・インスタレーションです。完成した06年のmoidsは48個のモジュールだったんですが、次のmoids2.0ではそれが1024個まで拡張できるようになりました。これはデンマークのロスキレの現代美術館に展示されていますが、今年の10月にはICCで再度展示される予定です(http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2012/Openspace2012/index_j.html)。

moids2.0

 どういう仕組みか分かりづらいと思うので、たとえ話で説明しましょう。例えば田んぼにカエルがたくさんいるときに、1匹が鳴き始めるとその声を聞いて隣のカエルが鳴き始めて、また別のカエルが鳴き始めてと、だんだんと鳴き声が大きくなっていきます。聞いているとその鳴き声が自然に揃ってきたり、突然全体がぴたっと鳴きやんだりする不思議な現象が実際に起きます。スズムシなどもそうなんですけれども、中央集権的に指揮者がいてみんなが同じ曲を演奏するのではなく、それぞれがお互いの音を聴きながら反応して好き勝手に音を出していくことで、自然に全体の音が同期したり止まったりする、カオス的な音やリズムが生まれます。こうした仕組みを電子的に行っているのです。

 こういう現象は特別なものではなく、今のインターネット上でも起こっています。ソーシャルメディアなどのプラットフォーム上で、最初はみんなの書き込みがばらばらなのに、それが意見交換をするうちに相互に作用し合って、その総和が何か一つの世論のようなものにまとまって新しい意見に集約したり分裂したりします。そういったことは複雑系の創発現象として研究されていますが、そうした現象を音で表現するものを作品として作りたかったのです。

――従来型の西洋音楽、つまりフォーマルなミュージックじゃなくて、自然発生的で、カナダの作曲家のマリー・シェーファーなどの言うサウンドスケープ的な、広い意味での音楽を複雑系を使ってやってみたということになるんでしょうか。

むぎばやし ありがとうございます、まとめていただいて(笑)。

――現在のネットの世界を予言するような、なかなか高度なプロジェクトですね。そういうプロジェクトの中で、モシモカメラなんかの基礎的なものができて、中原さんと一緒に会社を興したということですか。

むぎばやし 中原はもともと京都にある国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の研究者で、ARなどの研究をしていました。彼がIAMASに来たのは、これからの時代は技術ばかりではなく、それにデザインやアートのような感性が結び付いたものが必要とされると感じたからです。私もそれまで、エイベックスでは音楽やゲームなどのエンターテインメント系のサービスを作っていたんですけれども、もうちょっと学際的な領域を研究しないといけないと思っていました。

 技術やデザインだけでも不十分で、インタラクションの演出や、ネットワークの知識もコンテンツもインターフェースも必要だし、実空間との連携も含めて、そういったものが全部気持ちよく統合できる領域のものをどうやったら作れるかを考えました。そうしたことを勉強するためにIAMASに行ったんですが、卒業後、そういう分野をさらに追求しようと思っても、当時はビジネスとしてやっている会社がありませんでした。それだったら自分たちで作るしかないなと思って、アイティアという会社を06年に作ったんです。

――メディアアートをIAMASで勉強しても、卒業後にきちんと続けている人はいないということですか。

むぎばやし IAMASは入った瞬間にラップトップを1人1台貸与してくれ、施設も充実していて、すごく恵まれた環境でした。その中で研究やアート作品作りをできるのはすごくいいことだと思うんですが、私は入学前にすでに仕事をしていたので、何かすごく閉鎖的に感じたんです。やっていることはものすごく面白いし、新しいことをやっているのに、どうして学会や美術展で発表するだけでおしまいなのか。アート作品をアルス・エレクトロニカなどのフェスティバルに応募して賞をもらうのは名誉なことですが、それだけで終わりなのはもったいない。そうした活動が、社会でどこまで誰のために役立っているんだろうとすごく疑問に思ったし、これからメディアアート的な方法論がぜったいに必要な世の中になると思っていました。

 私がそういう波を感じたことが、今まで2回あります。1回目の波は、大学生のときにCGやVRに興味を持って、インターネットのさざ波を感じた時です。これからは、「これがないともう生きていけなくなるな、すごく大きな波がくるな、この10年はエキサイティングになる」と思って、ネット関係の仕事を始めました。そして2回目の波は、ユビキタスやAR技術に興味をもってIAMASの大学院に行って、ソーシャルメディアとオープンなモバイルなプラットフォームが出てきた時です。

――90年代にはパソコンを持っている人も少なかったし、ネットは遅いし、携帯電話でメールができるようになったのも10年前くらいからですからね。最近までユビキタスとかARとか言っても研究レベルでした。例えば先ほど紹介していただいたヘアシミュレーションなんか、昔は大型のコンピューターがないとできないソフトでしたね。

むぎばやし そうですね。モバイル用のOSと、デバイスの進化の力が大きいです。私たちがIAMASでインタラクティブなインスタレーションやARをやっていたときは、まだスマートフォンがほとんどなかったので大変でした。その後のiPhoneとiOSの出現で、やっと自由にモバイル用のアプリを作って配布できるようになり、その後、Android OSが出てきて、すごく世界が変わったと思っています。誰もがスマホを持ち歩くようになると、全然違うコミュニケーションの形やライフスタイルが実現できそうな環境になってきました。また、これまでの携帯電話(ガラケー)とくらべ、Wi-Fiなどのインフラも整ってきたし、一気にモバイルのアプリがグローバルに展開できる状況になってきました。

GTOのゲーム

 現在はmobageやGREEなどのガラケー向けのゲームが主流で、私たちもソーシャルゲームを開発し、サービスしています。大人気コミック「GTO」のソーシャルゲームをmobageでリリースしました。ソーシャルゲームでもスマートフォン対応やユーザの移行が進みつつあり、これからはスマホが主流になっていきます。

 今後は、これまでとまったく違う、IAMASで研究レベルだったことを広く世の中に展開して面白いことができると考えています。でもまだ移行期なので、私はかばんの中にはいつも、ラップトップとiPhoneとAndroidとガラケーと、4つ入れて持ち歩いているんですよ(笑)。(つづく)

持ち歩いているラップトップ、iPhone、Android、ガラケー

■むぎばやしひろこ アイティア株式会社代表取締役。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)メディア表現修士課程修了。エイベックス株式会社(現エイベックス・エンタテイメント株式会社)で、デジタルコンテンツ・プロデューサーとして、日本初となった音楽配信事業の立ち上げを含め、新規事業開発に従事。2006年、これまでの経験を生かし、アイティア株式会社を設立。独自AR(拡張現実)技術をつかったAndroidスマホ向け「モシモカメラ」アプリが600万ライセンスを超えるヒットに。趣味は、電子楽器とゴルフとワイン。著書に『かわいいサイエンス』など。
*むぎばやしひろこさんは2015年12月22日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。