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生活と時代を重ねた芥川賞受賞作/鹿島田真希『冥土めぐり』

小山内伸 評論家・専修大学教授(現代演劇・現代文学)

 上半期の芥川賞は、鹿島田真希氏『冥土めぐり』(河出書房新社)に決まった。鹿島田氏は2005年に「六〇〇〇度の愛」で三島由紀夫賞、07年には「ピカルディーの三度」で野間文芸新人賞を受賞しており、今度の芥川賞によって、新鋭作家を対象にした新人賞「3冠」を達成した。3冠は笙野頼子氏以来、二人目という快挙だ。

 鹿島田氏は白百合女子大在学中の1998年、「二匹」で文藝賞(同社主催)を受けてデビューした。この時の選考委員は、笙野頼子、長野まゆみ、久間十義、松浦理英子の各氏。選評を読む限り、鹿島田氏を積極的に推したのは松浦氏のようだ。こう評している。

「小説というものに出遭って心地よく共振するだけでなく、ぶつかり争って来た形跡がある。……乱暴な作物ではある。しかし、二十一歳のこの作者の文字通りの若々しさと果敢さは愛すべきものであるし、いずれ化ける可能性も充分と見た。よって、新人・鹿島田真希を送り出す」

 鹿島田氏は、その期待に応えて見事に「化け」たわけで、まずは松浦氏の慧眼に敬意を表したい。

 芥川賞受賞作『冥土めぐり』は、脳の病気を患って四肢が不自由な36歳の夫を抱える女性を三人称で描いた中編。区の保養所への夫婦旅行の模様に、主人公・奈津子の肉親のうらぶれていった半生を綴り合わせる。

 実は、区の保養所とはその昔、高級リゾートホテルだった。奈津子は幼い時に一度、両親と弟と4人で訪れたことがある。つまり、「冥土めぐり」とは、追体験に追憶を重ねた物語なのだ。

 かつて名をはせた高級リゾートホテルが一泊5000円の区営保養所に転じた変化は、そのまま日本社会の凋落と重なる。戦後の復興から、高度経済成長、バブル経済までの隆盛。あるいは科学の発達、進歩主義、国際化。この国は1980年代まで、ずっと怖いもの知らずの右肩上がりで成長してきた。

 それが90年代半ばから続く不況、雇用不安、格差社会などで、我々を取り巻く環境と未来への展望は一変した。皮肉なことだが、ここには文学の題材の鉱脈があるとも言える。近代以降、よく小説や戯曲に描かれてきた貴族や上流階級の斜陽とは異なる、社会全体の、あるいは普通の庶民の零落。受賞作はまさに、個人の生活と時代とを共振させた小説なのだ。

 奈津子が久々に夫と共に訪れた保養所は今、こんな様相を呈している。

〈母親の少女趣味を満足させていたピンク色の楽園は、今や枯れ草に覆われ、立ち入り禁止だ。……活気があったロビーも時季のせいなのか、人は少なく、古いグランドピアノだけがただ放置されていた〉

 奈津子の母は元スチュワーデスで、高級志向が強い。くだんのリゾートホテルに昔、旅行した際には「ここが私の第二のふるさとなのよ!」と発作のように叫び、高級フランス料理や宝石に一家言を持つ。そして夫と家を失った今も、華やかな世界がもう一度戻ってくると妄信している。だから、奈津子が富をもたらさない男と結婚したことをなじる。

 ここに、時代に置き去りにされた無残な姿がさらけ出される。スチュワーデスが花形の職業だった頃、つまり高度成長期の残骸として。

 一方、弟は就職してクレジットカードを持つと、キャバクラに繰り出し、洋服を多数購入し、2年ほどでカード破産。母親はマンションを手放して借金の返済に充てた。

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