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『新 東京いい店やれる店』に見る日本のグルメ20年

古賀太

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 『新 東京いい店やれる店』(小学館)を書店で手に取って、笑ってしまった。まだやっているのか、ホイチョイ・プロダクションズ! 中をめくると、不思議な懐かしさを感じて買ってしまった。

 もともとこの身も蓋もない題名の本は、文芸春秋から今も毎年出ている『東京いい店うまい店』をもじったもので、旧版が1994年に出た。「うまい」ではなく(いい女と)「やれる」という直接的な表現が受けて、バブルの名残りがあちこちにあった日本で、15万部のヒットを飛ばした。

『新 東京いい店やれる店』(下)と旧版の『東京いい店やれる店』=撮影・筆者

 新版はそれから18年後。「失われた10年」は20年に及び、リーマンショックや中国や韓国の台頭で、日本の景気は戻りそうにない。そんな時に新版とはと思ったが、目次をみて驚いた。「春」「夏」「秋」「冬」と四季別に分かれている。

 そして「序に代えて」には、「昔のデート:事前準備が命」「今のデート:なりゆき」と比較されている。それでもデートはなりゆきではダメで、安くとも女がよろこぶ店はあるというところから始まる。

 そのキーワードが「季節感」。「春は花見」「夏はホタル」「秋は月見」「冬は雪見酒」という。なんだこれは。まさにオヤジの世界じゃないか。

 本文を読むと、レストランそのものよりも、季節と食べ物の解説が多い。桜の種類の解説に始まって、アスパラガス、初ガツオ、ギンポウ、ホタル、ハモ、シンコ、上海蟹、新そば、白トリュフ、羊肉、チーズ、京野菜、そしてスッポンまで。まるで動物や植物の事典、あるいは食材事典でも見て書いたかのような、ウンチクの連続だ。

 だれがこんなものを読むのだろうか。あるいは読んで暗記してレストランで女に自慢したからといって、それで「すごーい」とやらせてくれる女はいるわけないだろう。初ガツオとか戻りガツオの時期なんて、寿司屋に通って食べながら板前さんに教えてもらうものだ。チーズだって何だって、現物を食べながらでないと身につかないのは当たり前だろう。

 もちろんそうしたウンチクの合間に、スペインバルが狙い目とか、メガ夜景よりプチ夜景とか、サルサ・ダンスが恋を生むとか、「やる」ためのテクニック指南がないわけではない。しかしサルサだってダンスの種類が図入りで説明してあって、説教くさいことこのうえない。

 気になって94年の旧版を取り出して比べてみた。まず旧版はハードカバーのうえ、表紙に野獣が美女をレストランに連れ込む絵が描かれている。そしてTOKYO BEAUTY&THE BEAST(美女と野獣)という副題。新版はハンサムな男にレストランに連れ込まれようとしている美女めがけてキューピッドが矢を射る絵。副題はSEX&THE CITY&THE RESTAURANTS。何とも上品になったものだ。

 さらに中を比べると驚く。旧版は一番「やれる」店には股を開く女性のマークが3つだったが、今度は矢を射るキューピッドのマークになった。旧版には「ひたすらいい女とセックスしたいと願うスケベな男の役に立つべく、東京の店が女の子をベッドに連れ込むための手段としてどれだけ有効か、女がどれだけ股を広げるかを論じた、バブル後初の本格的軟派レストラン評論である」と高らかに宣言し、女性は読まないでくれと書く。

 ところが新版は「食べログは信用できないが、ミシュランの店は高すぎる、とお考えの諸君。本書こそ、キミが求めていた本なのである」とずいぶん普通の書きぶりで、女性と同時に35歳未満の男性にも読むなと書く。要するにおじさん向けの本になったということか。

 では肝心の選ぶ店はどうか。旧版は三ツ星が『パ・マル・レストラン』、『みかわ』、『ラ・フェット』『ダイアモンド・ホースシュー』『ラ・ビスボッチャ』に『クチーナ・ヒラタ』。『ラ・フェット』以外は今もあるが、2012年において『パ・マル・レストラン』や『ラ・ビスボッチャ』が「やれる店」にはとても私には思えない。やはり流行は時代で変わるということか。

 フランス料理を堅苦しいと思う人が、『パ・マル・レストラン』のような「ビストロ」を新鮮に思ったのは間違いない。

 選ぶ店になると、新版のキューピッド印3つは

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