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通天閣と釜ケ崎――大阪ディープサウスの魅力

福嶋聡 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店

 酒井隆史著『通天閣』(青土社)が今年度のサントリー学芸賞を受賞したという報を、とても嬉しい思いで受け取った。『現代思想』連載時からとても面白く読み、単行本化を心待ちにしていたこの本を、ぼくは2011年11月の刊行以来、書評、ブックフェア、トークセッションと、今年上半期をかけて店頭で一押し、応援していたからである。

 折しも今年は通天閣竣工100周年であるが、連載終了後、単行本化までに2年かかったのは、何もその時期に合わせようとしたのではない、と酒井は言う。連載時は締め切りに追われて調べきれなかった資料を掘り起こしていくうちに、加筆部分がどんどん増え、訂正しなければならない箇所も多々出てきたかららしい。

 『通天閣』の主役は、都市大阪そのものである。通天閣じたいは、むしろ背景に引いている。都市は、いきものだ。都市が摂取する栄養はひとであり、それゆえ排泄するのもひとである。20世紀前半期の大阪は、とりわけ巨大な、魔物ともいうべきいきものであった。

 このいきものひとを摂取・排泄するのは、急速な産業の発達に必然的に伴う景気変動による。本書が「新・日本資本主義発達史」の副題を持つ所以である。

 大阪にはさまざまなひとびとが行き交う。労働者、博徒=侠客、娼婦、芸人、投機家、ジャーナリスト、運動家、アナキスト……。そして、『王将』の坂田三吉。大阪の持つ激しい流動性と重層性に由来する矛盾の複雑さが、逆に調停機能を発達させ、多様な、そして魅力的なひとびとを共棲させる(大阪は、いまでも東京以上に国内外の移民からなるモザイク都市である)。

 大阪の大学に赴任するため東京からやってきた酒井の目には、この魔物のような都市の相貌が、最初驚きの連続だったという。

 “10年前の天王寺界隈は、とにかく面白かった。びっくりの連続だった。駅の中でも外でも無数の人が歌をうたっている。そこに女子高生が寝ていたりする。あちこちに野宿者がつくったみごとな小屋があり、陸橋の上にミュージシャンがたくさんいて、大喜利をする人たちもいた”(2012年1月22日<日>トークセッション「通天閣は見た!~大阪ディープサウス100年の光芒」<ジュンク堂書店難波店>での発言)

 そうして、「こんなに面白い場所がある」と東京から多くの人を呼んだそうだ。

 大阪ディープサウスという地域を調べていくうちに、近世―近代史において忘却されてしまった「侠客」の存在感が、どんどん大きくなっていった、と酒井は言う。大阪府には、侠客に福祉行政を任せていた長い歴史があり、かつては、興業や相撲の世界と侠客の世界は一体化していたのだ。

 “役所なんてなくたっていい、しょうがないから一応付き合ってやっているが、役所がやることぐらいは自分たちでやれる、という気概を、かつての大阪人は持っていた、と思うのです”

 猥雑さを含んだエネルギーの過剰が、“「にせものの夢らしきもの」を即座に台無しにする”大阪の活力の源であったこと、「再開発」の名の下、埋没させられそうなこの事実を、「大阪復興」に意欲を燃やし、自分一人で大阪の向かうべき方向を見定め、引っ張っていけると思い上がっている市政のトップには、是非知っておいて欲しい。

 資本主義の原動力である「欲望」は、都市へとひとびとを引き寄せながら、都市の中で自ら肥大化していく。そして、「欲望」は「貧困」の拡大をも呼び寄せる。「貧困」は、「過少」を意味するだけでなく、「過剰」とも親密だからだ。「欲望」は大阪を膨張させ、「貧困」と共に南下して行った。

 通天閣は、内外を遮断しかつ結びつける「境界」であるが故に最も翻弄され、変容していった、そしておそらくは最も活力が溢れた「大阪ディープサウス」を、じっと見守りつづけてきたのだ。

 そんな「大阪ディープサウス」に関する魅力的な本がもう一冊、

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