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『ユーミンの罪』で考えた還暦ユーミンと我が暗き青春(泣)

矢部万紀子 コラムニスト

 酒井順子さんの書いた『ユーミンの罪』が売れているそうだ。私が年末に買ったときは3刷だったが、さらに版を重ね、現在5刷5万部とのこと。

 週刊文春1月30日号の「ベストセラー解剖」も取り上げていて、「うすうす感じていたことを的確に言語化してくれるのが本書の面白さ」とある。そこで取り上げていた「言語化」が「助手席気質」。「中央フリーウェイ」も「埠頭を渡る風」も「彼の運転する車の助手席」に座る女性が主人公、と酒井さんは指摘している。

 この「助手席気質」という言葉が、私を大いに刺激してくれたことは後段で書くのだが、酒井さんはほかに、「二層構造」という言葉でもユーミンを分析している。「ユーミンは心の中に秘かに『平凡な人』を飼っている気がしてなりません」「外は革新、中は保守。この二層構造が、ユーミンの武器」と。

 確かにユーミンという人はファッションのみならずビジネス面でも「時代の先を行っている」ことは常識というか前提ですね。一方で、彼女の歌は「結婚」が一大目標になっているし、第一ご本人がさっさと結婚し、「松任谷」と戸籍名で活動し、そこいらは時代性をかんがみても「真っ当というか、保守的だなあ」ということは、「うすうす感じていたこと」であるが、まあそれ以上深く考えず、鼻歌など歌っていました。と、そんな私には、「腑に落ちまくり」な本だった。

 「荒井」から「松任谷」になった1970年代から始まり、バブルを経て、90年代初頭の崩壊まで、つまりユーミンの絶頂期が分析対象。「女、ユーミンの人生、ユーミンの歌」という三つが鮮やかに切り取られている。ユーミンは1954年1月19日生まれ。ということは、先月、還暦を迎えているわけで、オーマイガッ!っと叫ぶと同時に、ユーミンの60年はとても幸福な60年だったろうと、今しみじみ思う。

 もちろん彼女個人にはいろいろあったろう。だが彼女の絶頂期、日本はとてもいい時代だった。前を向くことが、少なくともかっこ悪くはなかった。バブルで浮かれた後、コテンパンにはじけたが、その時期でさえ、今よりずっと派手だった。派手上等。ユーミンはそんな人で、いま派手が足りなさすぎると思う。

 そんな感情はユーミンを聴いていた世代なら男女問わず抱くはずで、だから5万部も納得なのだ。もちろん私自身、ぐいぐいと読んだのだが、小さな不満がひとつ。私のお気に入りのあの歌が、出てこなかったのだ。

 もちろん、そこそこ好きな歌はたくさん出てきた。

 たとえば「DESTINY」。「ぱっとしないセーター」や「この前と同じカーディガン」を「今日に限って」着ていた日。ちきしょーと思いながら、「どうしてなっのー、今日に限ってぇー、や、す、いサンダルをはいってたー」と心の中で歌う。「人生の法則」を見事に説いた名曲と思う。「リフレインが叫んでる」だって、カラオケで何度も叫んでる。でも、でも、ここで叫びたい、出てこないのよ、あの歌がーーー、と。

 はい、「セシルの週末」という歌です。と、ここからが「私と助手席気質」になります。さびはこれ。

 「そうよ、下着は黒で、煙草は14から。ちょっと待ってくれれば、なんだってくすねて来たわ」

 そう、元不良少女セシルが主人公。たぶん、サガンの『悲しみよこんにちは』からのネーミング。セシルがプロポーズされたところから歌が始まる。「窓たたく風の空耳」かと疑うセシル。あなたと私の関係は、「ゆきずりでもよかったのに」と。でも空耳などではなく、不良時代もあなたに話すと「遠い物語」、私を本気で怒る「不思議な人」はあなたが初めてと続け、締めはこう。「You say you want me. You want to marry me」

1984年のユーミン1984年のユーミン
 この歌を初めて聴いたのは、30年以上前、大学2年の夏だったと思う。先輩(もちろん男子)の運転する車に男女混合の4人、ぎゅうぎゅうに乗っていた。

 私は学生時代、誰か(99%男子)の運転する車に乗るのが苦手だった。

 酒井さんの「助手席気質」という言葉から当時の私を解説すると、「車は本来、彼女が助手席に座るもの」という価値観があって、「そうなれない自分」に劣等感を抱いていて、「この運転している人が、本当は助手席に乗せたい女子がここにはいて、私はおまけで乗せてもらっている」感にさいなまれていたのだと思う。だが、当時の私は自己分析もできず、ただただ居心地が悪かった。

 そんなある日、乗った車で「セシルの週末」がかかったのだ。

 そのとき、私の隣に座っていた女子の先輩がこう言った。

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