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60年代の憲法論、上山春平『憲法第九条―大東亜戦争の遺産』の瑞々しさ!

福嶋聡 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店

 2013年12月に刊行された『憲法第九条―大東亜戦争の遺産――元特攻隊員が託した戦後日本への願い』(上山春平著、たけもとのぶひろ編集、明月堂書店)は哲学者上山春平が1960年代に思考した憲法論であるが、今ある凡百の無思想な暴論や弥縫策に比べ、未来を見据えて遥かに瑞々しい。

上山春平氏=1981年上山春平氏=1981年
 上山が、日本が1945年に敗れた戦争を「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」と呼ぶのは、林房雄(『大東亜戦争肯定論』)のように、かの戦争を肯定するためではない。「太平洋戦争」はあくまで戦 勝国アメリカの視点に立つ呼称であり、我々日本人がそのような視点に立つことによってアジア大陸への侵略的行為を含めた一連の出来事を自ら免責・忘却することなく、「あくまでもそれを戦ったこちら側の集団の一人として反省する立場を貫く」ためである。

 一方、戦争当事者による東京裁判を、上山はそもそも認めない。東京裁判は、「連合国=正義/枢軸国=悪」という単純かつ誤った図式で、戦勝国が敗戦国を裁くものだったからだ。

 どちらかが一方的に良くて、どちらかが一方的に悪いというような喧嘩や戦争は無い。東京裁判、そして戦後の世界秩序を決定したのは、実際には力の論理にしたがいながら倫理的な偽装をほどこそうとする「戦勝国」アメリカの欺瞞であり傲慢であり、それは数十年後に「テロとの戦い」と称した侵略行為で馬脚を現す。

 だが同じ占領期に制定された日本国憲法については、「アメリカ政府の『俺たちは平和愛好国民だ』という独善的な前提に立脚」していると断じながらも、「押しつけられた憲法だといいきるほうがいいのではないか。なぜなら、その意思のなかには、日本だけの意思ではなくて、国際的な意思が入っている」とむしろ肯定的に評価し、「占領下につくられた私たちの新しい憲法は、その生い立ちの異常さに由来する外形の醜さにもかかわらず、まともな生い立ちとまともな外形をもつ他の国々の憲法を画然としのぐ美点をもっている。それは第九条の不戦の規定である」と言い切る。

 第一次大戦後、全世界的に感じられ始めていた「戦争放棄」の必要が、「第九条」に結晶した「国際契約」と捉えるのだ。「私は、あの憲法が、大西洋憲章→連合国宣言→国連憲章→ポツダム宣言→連合国対日管理政策という一連の国際的協定を前提とし、しかも、日本の議会の決議と連合国の日本管理機構の承認を経て作製された国際的文書である、という事実に着目したい」。

 上山は、幣原喜重郎が要求する天皇制維持の代価として、マッカーサーが戦争放棄条項を憲法に挿入することを呑ませたのではないか、と想像する。「両者のふれあいには、やはり戦争という名の愚行を克服する道を最もまじめに考えつめた瞬間にふさわしい何ものかがみとめられるように思う」と上山が語るとき、そこには、人間魚雷「回天」に乗り込み、決死の覚悟で戦争と対峙した哲学者の、紛うことなき平和への希求が強く感じられる。

 朝日新聞の記者として上山の謦咳に接した柴山哲也は、実際に新憲法草案の作成にかかわった米国人には、戦争体験を共有した上山と同世代の人が多く、新憲法の中にはある種の人類的な理念と希望の共有があると思うようになった、と言う(『新京都学派――知のフロンティアに挑んだ学者たち』平凡社新書、2014年)。

 また、常に「九条」との齟齬が取りざたされる自衛隊について、上山は「天災や人災(戦争も最大の人災の一つである)にたいしてとりくみながら、

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