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時代の刻印を濃厚に帯びた元祖『ゴジラ』

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 『ゴジラ』(1954)のデジタル・リマスター版が劇場で公開中だ。もちろん7月25日公開の米国版『ゴジラ』をワーナー・ブラザーズと共同配給する東宝による前宣伝のイベントだが、オリジナル版は今見ると、想像以上におもしろい。

ゴジラ都内の劇場で=撮影・筆者
 私は土曜日の午後に劇場で見たが、男性が7割で小学生も含めてあらゆる世代が揃っていたし、若いカップルも多かった。見終わった後に、ある若い女性が思わず「すごーい」と声を挙げたのが印象的だった。

 『ゴジラ』については、製作当時から反水爆のメッセージが話題になっていた。後に述べるが、製作中にちょうど第五福竜丸事件が起きたために、脚本にその要素が盛り込まれているからだ。最近では3.11以降、原発が大きな問題になったために、その先見性がしばしば話題になっている。

 しかし現在の目で元祖『ゴジラ』を見ると、それだけではない幾層もの歴史的文化的文脈が見えてくる。

 まず、この映画を見た時に想起するのは戦前や戦時中の光景であり、その頃の映画である。

 このことは既に川本三郎が『今ひとたびの戦後日本映画』で、「『ゴジラ』を今見直していちばん驚くことは、この映画が『怪獣映画』であるよりも、『戦争映画』であることだ」と論じているが、ここでは少し違う解釈を試みたい。

 最初に黒白のスタンダードサイズ(今の映画より横幅が狭い)で東宝のマークの前に「賛助 海上保安庁」と出た時に、私はすぐに「後援 海軍省」の『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)や「陸軍省後援」の『陸軍』(1944)などの戦前のプロパガンダ映画を思い出した。

 そしてクレジットが始まると伊福部昭作曲の「ゴジラのテーマ」が始まる。その勇壮な繰り返しのリズムもまた戦前のイメージだ。

 何より、ゴジラに踏みつぶされ、火をつけられた焼野原が、大空襲や原爆投下後の光景を思い出させる。体育館に収容された人々の姿や箪笥や家財道具を大八車で運ぶ様子もそうだし、壊される松坂屋のそばに追い詰められた母が幼な子に「もうすぐお父ちゃまのそばに行くのよ」と言う場面などはまさに戦時中だ。

 そのほか、ゴジラが迫ってくると聞いて列車の中で「そろそろ疎開でもするかなあ」「また疎開か、いやだなあ」と話す会社員の会話も、戦時中との連続性を示す。

『ゴジラ』 (c)1954年度TOHO CO.,LTD『ゴジラ』 (c)1954年度TOHO CO.,LTD
 もちろん焼野原はミニチュアだが、それが特殊技術の円谷英二によって作られたところも、『ハワイ・マレー沖海戦』の戦闘機や真珠湾と同じだ。つまりは戦前の映画技術がそのまま生かされている。

 「ゴジラのテーマ」は劇中では戦車が続々と出てゆく悲愴なシーンに使われるが、これももちろんミニチュア。山の上からゴジラがにゅっと出てくるシーンでは、私は『キングコング』(33)を思い出した。

 考えてみたら、この映画は昭和29年の製作で、敗戦から9年しかたっていない。人々のイメージも映画製作もさほど変わっていないはずだ。

 もちろん、明らかに戦後を感じさせるシーンもある。

 まだ数の少なかったテレビの存在もそうだし(ユタカテレビとのタイアップ!)、菅井きん演じる婦人代議士の国会での活発な発言もそうだろう。

  「ああ、原子マグロと放射能雨の後はゴジラか」という会社員のセリフは、その年の3月に起きた水爆実験による第五福竜丸事件が背景にある。映画公開が11月3日で、撮影前に入れたセリフのようだが、当時はしっくりきたのではないか。

 妙に感動的なのは、

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