メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

結婚・妊娠ヤジ「謝罪」に思う――「セクハラ」の本質はまだ理解されていない

北原みのり(文筆家、「ラブピースクラブ」代表)

北原みのり

 「早く結婚したらいいんじゃないか!?」とヤジを飛ばした都議会議員の鈴木章浩の謝罪記者会見を見た。記者会見の中で彼が、「結婚したくてもできない人に申し訳ないと思う」と謝罪していて、驚いた。ああ、この人、何が悪いのか本当には理解していないのね。

 だいたい記者会見中に「辞職はしないのか?」の質問に、何度も「初心に戻って」とか「原点に返る」と繰り返しているのだけど、心から聞きたい。

 セクハラ議員の原点って、いったい、どこですか? セクハラ議員の戻るべき「原点」って、党の会派を抜けるとか、そういうことじゃないんじゃないの? どうか一般市民に戻って、目の前の妻との関係からやりなおしていただきたいものです。

議場でのヤジについて会見で謝罪する鈴木章浩都議=23日議場でのヤジについて会見で謝罪する鈴木章浩都議=2014年6月23日
 それにしても、今回の一連の「騒動」からは、日本社会がいかにセクハラについて無知で甘く、そして女にとってはいかにそれが「見慣れた光景」であることかを、再認識させられた。

 「セクシャルハラスメント」という言葉が新語・流行語大賞の新語部門金賞を受賞したのが1989年だが、四半世紀経っているというのに、いったい何がどれほど変わったのだろう。

 まず、今回「セクハラ」が、世間ではかなり軽く扱われていることに驚いた。

 例えば毎日新聞が行った塩村文夏議員へのインタビュー(6月20日)には、「ツイッターなどではこれは『セクハラ』という言葉でとどめてはいけない、いう指摘もあります」と記者が塩村さんに質問している。

 「セクハラという言葉でとどめてはいけない」とは、いったいどういう意味だろう? 都議会で公然と行われた”セクハラ事件”(ですよね?)を取材している新聞記者ですら、「セクハラ」が分かっていないのだろうか。

 この記事に限らず、「セクハラというより人権侵害だ」「セクハラというよりイジメだ」という発言(みんな、真剣に怒りを表明している)が、ネット上では多く見られた。

 もしかしたら、セクハラが人権侵害で、セクハラが嫌がらせでありイジメである、という前提が、社会で共有されていないのかもしれない。

 「セクハラ」とは、職場の上司が「子供産めよ~」みたいなことを言って、女性社員が「ん、もうっ! それってセクハラですぅ~」と笑って答え、「あはは、セクハラって言われちゃったなぁ~」とオヤジがガハハと笑ってじゃれ合う様子を表す言葉、とでも思っているのだろうか。または男どうしが、「これもセクハラか~?」と大げさに怖がり、はしゃぎあうような時に使われる遊びの言葉だとでも?

 また鈴木議員の謝罪の中にあった、「結婚したくてもできない人に申し訳ないと思う」という発言も、セクハラへの無理解そのものである。塩村議員自身がツイッターで「悩んでいる女性に言ってはいけない」という文言で抗議したように、ヤジ批判の中には、「産みたくても産めない人や結婚したくてもできない人への配慮が欠けている」、という声は非常に大きかった。

 もちろん、結婚差別を受けている人、不妊で苦しんでいる人に対する配慮の欠けた発言であることは言うまでもないが、セクハラ発言は特定の状況にある人々に対する配慮の問題ではない。「結婚すればいい」「産めばいい」ということを、公の場で嘲笑するために発言すること自体が女性への差別発言なのだ。

 どうしても「配慮の問題」としたいのならば、正確に表現するべきだろう。

 「結婚したいわけでもないのに、産みたいわけでもないのに、全く関係のない男から『産めよ』『結婚しろよ』と冗談のように言われ、日々セクハラ環境に悩まされている女性たち」に対して、謝罪しよう。

 少子化対策について真剣に語る女性議員を前に、「お前が産め」「お前が結婚しろ」と捉えかねないヤジをぶつけ、それに対し、男たちがガハハと楽しそうに笑うその光景そのものに、セクハラが深く根付いている社会に対する絶望や怒りを感じた女性たちに対しても、同様に謝罪するべきだろう。

 また鈴木議員は、「自分の発言と他の発言が一緒になって報道されていること」への違和感を何度か述べていた。他の発言とは「自分が産んだらいいんじゃないか?」という発言だ。

 「結婚ヤジ」と「妊娠ヤジ」が同列に表現されたことへの違和を語り、「(妊娠ヤジは)あり得ない」と批判し、「自分の発言には責任をもって謝りたい」と堂々と仰っていたが……、「お前が産め」と「お前が結婚しろ」、または「産めないのか?」「結婚できないのか?」も、そんなに変わりませんよ? 

 「妊娠の問題」の方が「結婚の問題」より、より深刻で重い差別に直結するというお考えなのだろうが、そもそもが、個人の事情である結婚・出産について、土足で踏み込み笑うことの暴力がセクハラなのだから。

 さらに鈴木議員は、「少子化、晩婚化が大きな問題になっている中で、早く結婚していただきたいな、という軽い思いで発してしまった。彼女を傷つけようとか、そういう思いはない」と記者会見で答えている。「傷つける意図はなかった」は、セクハラ加害者の常套句でもある。

 セクハラは意図の問題ではなく、意識の問題である。女性をそのように嘲笑してもいい、と捉える意識や、環境の問題だ。

 鈴木議員は、数日前のテレビ取材班にマイクを向けられ、「塩村さん、結婚していないんですか?」と驚いたように話していた。それはまるで、”彼女がシングルだということも知らないのに、僕がヤジを飛ばすわけないでしょ?”とでも言うような調子だった。

 要はその場その場で、嘘や暴言がポロリと口から軽い気持ちで出てしまう方なのだろう。議会でのセクハラヤジはなくなったとしても、恐らくこれからも日常のセクハラ発言やセクハラ行為などされてしまうかもしれない。彼自身のためにも、早く議員を辞職することをおすすめしたい。

 また、あまりにもクリシェ過ぎて記すのも残念だが、塩村さんの態度に批判的な声も少なからずあった。代表的なものとして竹田恒泰氏の発言が分かりやすいので、一応紹介しておこう。

・・・ログインして読む
(残り:約1942文字/本文:約4445文字)