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スイスの異能、ダニエル・シュミット監督特集が東京・渋谷で開催!(2)――奇想天外な超傑作『ラ・パロマ』をめぐって(続)

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『ラ・パロマ』の、前回述べた以降の物語は、ヴィオラがイジドール宛てに残した遺書をめぐって、奇天烈な怪奇映画、ないしは幽霊映画風に展開する。生前のヴィオラの指示に従って、イジドールは彼女の死の3年後に遺書を開封する。遺書には、自分の遺体を墓から掘り起こし、その一部を骨壺に収めて礼拝堂に移してほしい、それが自分へのイジドールの無限の愛の証明だ、と書かれていた。

 さて墓掘りのくだりが、これまたひどく人を喰った、ご都合主義的な――しかし異様にチャーミングな――場面の連続で、度肝を抜かれっぱなしだ。

 なにしろ、ラテン系の軽妙な音楽の流れるなか、掘り起こされた棺桶のなかのヴィオラは、生前そのままの姿で、肌はつやつやと輝き、ぱっちりと目を見開き、あっけらかんとした明るい表情を浮かべているのだ(リビングデッド/生ける死者!?)。

 しかもヴィオラはそこで、3年前の臨終の床で手にしていた黒い十字架を、そのときと同じような手つきで胸にかざすのだ(これは明らかに、ジャン・ルノワールの傑作『ボヴァリー夫人』(1933)のヒロイン、エンマ/ヴァランティーヌ・テシエの死の場面への目くばせ)。

 もっとも、ヴィオラが墓の中でも3年間、生前そのままの姿を保っていたことに関しては、彼女がかねて美顔薬に、ひいてはエンバーミング/死体保存(防腐)処理に精通していた、という示唆が作中でなされはする。だがそれは、観客の頭の中にはほとんどインプットされない、漠然とした暗示にすぎない。

 ややあって、イジドールは遺言に従い、意を決してヴィオラの遺体をナイフで切り刻む。そこで卓抜なのは、

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