メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

芦田愛菜ちゃんの『円卓』を勝手に応援演説します

矢部万紀子 コラムニスト

 『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』(行定勲監督、芦田愛菜主演)が危機に瀕している。東京での上映が、7月19日からはなくなりそうだ。大阪が舞台の映画だから、関西はまだ、そこそこ上映されているが、ここは『円卓』の延命に一肌脱がせていただこうじゃないか、と勝手に筆をとったしだい。

 とにかく見てほしい。とてもいい映画なのだ。

 どうよいかについては、追ってお知らせするとして、この映画の不幸から分析したい。

 芦田愛菜さん主演、という最大の売りが最大の問題になっている気がする。もちろん、ミスキャストなどではない。芦田愛菜、すごい女優だと本当に実感。達者だけどイヤミは全くない。脱帽。

 だが、客層が混乱してしまったのだ、彼女ゆえ。

 私が見たのは7月の初め、土曜日の日比谷だったのだが、親子連れが10組近くいた。小学生、またはそれ以下の幼児とお母さん、またはお父さん、またはその両方、またはおばあさん、といったパターンもあった。お父さんがコーラとポップコーン売り場に並んでいて、「大きなお友達」に見えたので「キモッ」と思ったが、席についたら子どもが2人も待っていて、ごめん、イクメンだったのね、と心で謝った話はさておき、声を大にして言いたい。

「円卓」.『円卓』の芦田愛菜(中央)
 「よい子のみなさーん、『円卓』は『マルモのおきて』ではありませんよー」

 子どもにはこの映画、あまりわからないと思う。メッセージが単純でないし、かなり気持ちの悪い変質者さえも登場する。私の後ろに座っていた小学校低学年女子は、お母さんに「あれ、何?」「どうなったの?」と何度も聞いていた。

 なのに、なぜ子どもが来てしまうのか。

 たぶん宣伝の一環として、愛菜ちゃんがテレビなどに出たのを見た女子が「この映画、見たい~」などとねだったのだろう。またはお母さんが「この映画、行こっかー」などと誘ったとか。

 「小学三年生を経験したすべての大人たちへ」というのがキャッチコピーで、大人ですよ、と制作側は訴えているわけだが、愛菜ちゃんの可愛さゆえ、子どもがついてきてしまうのだと思う。ハメルンの笛吹きかっ!

 で、ついてきた子どもたちがノリノリで帰っていけば、『アナ雪』にもなれるところだろうが、そんなわけでそうはいかない。では大人が行くのかというと、愛菜ちゃんの可愛すぎるポスターやらインタビューやらから、「子どもものね」と思ってしまう。このような痛し痒しの罠に落ちてしまったのではないか、『円卓』は。いかーーん!

 『円卓』は大人の映画です。行定監督は13年前に名作『GO』を撮った人だが、そのときとの違いを語っている。『GO』で差別を乗り越えることを書きましたが、『円卓』では差別を差別ととらえず、違いとしてとらえる子どもの話になりました、と。

芦田愛菜.芦田愛菜.
 芦田さん演じる小学3年のこっこ(琴子)は、幼馴染の吃音の男子(ぽっさん)を尊敬し、吃音を「かっこええ」と感じ、公言もしている。ベトナム難民の親を持つ男子(ゴックん)も「めっちゃドラマあるやん」、在日4世の朴くんも「4世やなんて、王様みたいやーん」。だから「うらやましー」。そういう子である。

 平凡、普通は凡庸と思い、予定調和を嫌悪する。

 だからお母さんに赤ちゃんができたと聞いて家族中が喜ぶのが、いやでしょうがない。だけど、お金持ちの朴くんのお母さんがいれてくれる濃いカルピスは大好き。算数の成績が最悪なのをお母さんに叱られ、勉強しなさいと言われると、グスンとなりながらコックンとうなづく。大人ぶりと子どもぶりのバランスが超よくて、キュートすぎる芦田さん。

 芦田さん、確実に進歩している。「マルモのおきて」のときは、「可愛い演技」と「しっとりした演技」が分離していたような気がする。「ぷっちぷち!」と誕生日プレゼントではしゃぐときと、「おばさんは、ママですか?」と尋ねるときに、微妙な境界線があったように思う。

 今回はそうではないのだ。

・・・ログインして読む
(残り:約1332文字/本文:約2952文字)