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[書評]『医療につける薬』

岩田健太郎 著

今野哲男 編集者・ライター

あるべきプロの矜持  

 医療哲学者として著名な中川米造の言葉に「医療とは人間を相手にするものである。病気を対象とするべきではない」という主旨の名言がある。中川は大阪大学の医学部で、医学を志す者が第一に学ぶべき「医学概論」という重要な講座を、医師ではないのに長年にわたって担当した人だ。

 本書の冒頭では、その大阪大学の学長を経験した哲学者の鷲田清一が、対談のホストである医師の岩田健太郎に向かって、中川の名を挙げた上で、医者ではない人が担当する医学部の講座や、患者を含めて医者ではない人も参加するチーム医療の大切さについて、「ラグビー型チーム医療」という卓見を述べている(ラグビーのように、医者が、後方にいる看護師や介護士などのスタッフや、ときには患者にも、対話という形でボールを投げない限り、あるべき本当の医療は始まらないのだという主旨である)。

『医療につける薬―内田樹・鷲田清一に聞く―』(岩田健太郎 著、筑摩書房) 定価:本体1600円+税『医療につける薬――内田樹・鷲田清一に聞く』(岩田健太郎 著、筑摩書房) 定価:本体1600円+税

 この中川や鷲田の言葉が意味することを、自分の体験で具体的に翻訳するとこうなる。

 わたしは、中年になってから、ひょんなことでウィルス性肝炎が発覚し、総合病院で精密検査をしたところ、インターフェロン投与を勧められた。この肝炎を根治するためには、それしかないというのである。

 無知だったわたしは、「若くて体力のあるうちに」と言う若い担当医の殺し文句に従って入院し、退院後は週1回、診察とインターフェロン投与のために通院を続けた。

 この間、毎週続く注射の直後に起きる副作用と、漸進的に進む体力の衰えに耐えてほぼ1年。

 毎週の診察で告げられるのは、基本的に投与に伴って変化するウィルス量の指標だけで、そのほかはマニュアルライクな日常生活の心構えを、申し訳ていどに聞かされるだけだった。担当医の関心と目的が、ともかくウィルス量とインターフェロン投与量の相関関係に集中している印象が拭えなかったのである。

 その治療が終わって2ヶ月後、わたしは脳梗塞を発症し、右半身麻痺と失語と発音障害に見舞われた。そしてこの時になって初めて、中川の言葉とは裏腹の「病気を相手にして人間を看ない医療」が続いていたことに気がつき、患者としての自分には、鷲田の言うような「ラグビー型チーム医療」がなかったと悟ったのである。

 口惜しいのは、脳梗塞後は禁酒、禁煙を守り、毎食後に漢方系の薬を1錠呑むだけで、肝臓の検査数値が生涯のどの時期よりもよい水準を保っていることだ。

 そこで、素人の私はこう思う。ウィルスを根絶しようと頑張らなくてもよかったのではないか。医師が投げる節制のアドヴァイスというボールを受け、自らが医療のゲームに参加できていれば、ことによると、漢方薬の処方だけでウィルスと共存するという選択肢があったのではないか、と……。

 そして、これが妄言に過ぎないとしても、自分でそう納得できるような医師とのコミュニケーションだけは欲しかったと思うのだ。

 著者の岩田健太郎は、1971年生まれの、感染症治療で活躍するバリバリの現役医師。島根医科大学を卒業後、若いころからアメリカや中国といった外国の病院の現場で武者修業を重ね、帰国後は千葉県にある総合病院の勤務医を経て、現在は神戸大学の医学部付属病院で、感染症内科の診療科長をつとめている。そのかたわら、教授として教鞭もとり、さらに「最上丈二」という別名で多くの啓蒙的著作を出している。

 本書は、その彼が、長年「臨床哲学」を標榜してきた49年生まれの哲学者・鷲田清一と、「街場の~」という冠をつけた多くの著書で知られる50年生まれの思想家・内田樹という、ともに自分の専門ジャンルを踏み超えて、積極的に異分野の現場に踏み込んでいくタイプの、当代を代表する二人の論者を相手に、日本の医療を俎上にあげてその問題を論じ合った、三者三様の体験がほどよく絡み合う、リアルで刺激的な医療批判の書。

 本書の面白さには、大きく言って二つの側面がある。

 一つは、自分が対談相手に選んだ二人が医療の専門家ではないことに由来する、岩田の「揺らぎ」が見えることだ。

 つまり、専門性からは自由な、二人の「越境性」あるいは「アマチュア性」に満ちた語りに岩田が興味を示し、共感を示しながらも、時にプロとしての意見や異見をも率直にぶつけざるをえない、その人間臭さがスリリングで面白いのだ。

 また、この自分の専門的な立場をはみ出す、生き生きとした「揺らぎ」や「蛮勇」を、医師がほどよく身につけない限り、患者はいつまでたっても「ラグビー型チーム医療」の一員にはしてもらえまいとも思う。

 もう一つの面白さは、「医療は社会の成熟度を映す」と題された第三部の鼎談で、時に逆説的なレトリックをまじえて語られる、世代を違えた3人の、大袈裟に言うと乱雑な知の饗宴とでも言いたいほどの、異世代間コミュニケーションだ。ここにも「ラグビー型チーム医療」の原型があると感じる。

 最後に岩田がそうありたいと言いつつ持ち出しているジュリアン・ハクスリーの、内田が見事に翻訳した次の言葉を紹介しよう。

 ――Try to learn something about everything and everything about something. ――これにつけた内田の訳はこうである。――everythingについてsomethingを知っていて、somethingについてはeverythingを知っている。それが専門家の矜持だ、と。

 この大きな矜持を持った専門家こそ、医者ではなかった中川米造が、「人間を対象にすべく」求めた、あるべき医師像なのではないか。そしてこれこそが、昔ながらの「医は仁術」につながる、いつも変わらぬ「医療につける薬」だと思うのだ。 

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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