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[1]赤瀬川原平は変わったのか、変わらなかったのか

赤坂英人 美術評論家、ライター

 まさかこんなことが起きるとは誰が想像したろう。多くの人たちから「赤瀬川さん」、「原平さん」と親しみを込めて呼ばれた前衛美術家で、小説家、エッセイスト、漫画家、イラストレーター、カメラ研究家、路上観察学会会員など多彩な顔を持つ戦後日本の美術を代表する芸術家のひとりである赤瀬川原平(1937年、横浜市生まれ)が、自身の回顧展の開幕直前に亡くなった。享年77歳だった。

 回顧展とは、千葉市美術館で開かれている「赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで」展(12月23日まで)のことである。また、町田市民文学館ことばらんどでは、「尾辻克彦×赤瀬川原平 文学と美術の多面体」展(12月21日まで)が開催されている。同時期にふたつの展覧会が開かれる最中の急逝であった。

 正直に白状してしまえば、赤瀬川原平についての原稿の依頼を、身の程もわきまえず引き受けてしまった私は、その後、彼について書くということは、私たちがほとんど忘れかけている戦後の日本の現代美術史の核心を書くことに等しいことだと改めて気付き、愕然としたのである。

赤瀬川原平さんの梱包の作品(1990年代の再制作)赤瀬川原平さんの梱包の作品(1990年代の再制作)
 まったく自分の無知はお恥ずかしい限りだが、引き受けた理由は個人的にひとつの疑問があったからである。その疑問が少しでも解けるならばと思ったのである。

 それは、1960年代から70年代へと、「ネオ・ダダ」や「ハイレッド・センター」の活動、「千円札裁判」や「櫻画報」などのパロディ・ジャーナリズムで、美術的には勿論のこと、社会的・政治的にも過激に疾走した感のある赤瀬川原平と、近年のように好々爺のように物語る彼との間にはいったい何があるのかという疑問であった。

 赤瀬川のなかでいったい何が変わり、何が変わらなかったのか。時代も人間も変化していくなかで、彼はいったい何を考えていたのかという思いだった。

 訪れた「赤瀬川原平の芸術原論」展が開かれている千葉市美術館は、連休中のせいか、20歳代から70歳代と多様な年齢層の人たちで込み合っていた。

 題名に「芸術原論」とあるこの展覧会は、赤瀬川のこれまでの仕事の総体を回顧しようとする意欲的なものである。

赤瀬川原平さん=1987年赤瀬川原平さん=1987年
 彼の回顧展はこれまでに1995年に名古屋市美術館で「赤瀬川原平の冒険 脳内リゾート開発大作戦」展が開かれているのみである。

 一方で、近年海外では日本の戦後、特に1960年代のアヴァンギャルドな芸術運動について関心が高まってきていた。西欧の人たちは日本の前衛芸術運動に、西欧とは違うもうひとつのモダン、「アナザー・モダン」の可能性を見ているようだった。

 こうした状況のなかで今回の赤瀬川の回顧展は、少なからず国内外の美術関係者の関心を集めていたのである。

 展覧会は11章構成で、第1章は「赤瀬川克彦のころ」。以下、「ネオ・ダダと読売アンデパンダン」「ハイレッド・センター」「千円札裁判の展開」「60年代のコラボレーション」「『櫻画報』とパロディ・ジャーナリズム」「美学校という実験場」「尾辻克彦の誕生」「トマソンから路上観察へ」「ライカ同盟と中古カメラ」「縄文建築団以後の活動」と続いていた。

 私は一通り会場を見て、彼は基本的に変わらなかったのではないかと直感した。ただ、はたしてそれが正しいのかどうかは分からなかった。

 第1章で私は初めて赤瀬川が描いた1950年代の絵画を見た。そこに感じたものは社会的貧困のなかでの強烈な彼のハングリー精神と新しい表現への渇望である。

 高度経済成長の時代ではない状況のなかで、彼は既成への反発と新しい表現への渇望を募らせていった。そうしたものが赤瀬川のなかで一気に炸裂するのが、1960年代である。

 1960年、彼は吉村益信、篠原有司男、荒川修作らと共に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加。同年の第1回ネオ・ダダ展に作品を出品した赤瀬川のモノクロ写真が今回展示されている。「方眼紙のように石膏を塗り込んだパネルに、ガラスの割れたコップの底を規則正しく貼りつけた」作品に顔を近づけ瞑想するように目をつぶる赤瀬川が写っている。

 同じ年、ネオ・ダダのパンフレットをミイラのように身体に巻きつけて歩く吉村益信と一緒に銀座のストリートを歩く様子を捉えた写真、「ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)」というゴムを使った作品なども展示されている。それらは、以後、疾走に疾走を重ねていく赤瀬川の、ある意味自由な、予測不能の活動を予感させる。

 後年、赤瀬川はこう言っている。

 「そもそも前衛芸術とは何かというと、芸術という言葉で代表される美の思想や観念といったものを、ダイレクトに日常感覚につなげようとする営みである」(『千利休 無言の前衛』:岩波新書より) (つづく)